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【シネマモード】『ヤング≒アダルト』に見る、「ギャップのある女」

ギャップのある女性はモテるとか。クールビューティがふと守りたくなるような華奢な一面を見せるとき、童顔のキュートな女子が案外ナイスバディだと分かったとき、いつもキメキメのモード系女性のすっぴん顔が結構可愛かったときなど、ギャップが露わになったとき、クラッとくる男性は多いと聞きます。同性から見ていても、いつもはちょっと厳しい先輩がキャラクター好きだったり、甘いものに目がなかったりと、可愛いらしい弱点を見せられれば、親しみや好感を抱くもの。つまるところ、ギャップは、人を惹きつけるきっかけにもなり得るのです。

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『ヤング≒アダルト』 -(C) 2011 Paramount Pictures and Mercury Productions, LLC. All Rights Reserved.
『ヤング≒アダルト』 -(C) 2011 Paramount Pictures and Mercury Productions, LLC. All Rights Reserved. 全 4 枚
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ギャップのある女性はモテるとか。クールビューティがふと守りたくなるような華奢な一面を見せるとき、童顔のキュートな女子が案外ナイスバディだと分かったとき、いつもキメキメのモード系女性のすっぴん顔が結構可愛かったときなど、ギャップが露わになったとき、クラッとくる男性は多いと聞きます。同性から見ていても、いつもはちょっと厳しい先輩がキャラクター好きだったり、甘いものに目がなかったりと、可愛いらしい弱点を見せられれば、親しみや好感を抱くもの。つまるところ、ギャップは、人を惹きつけるきっかけにもなり得るのです。

でも、こんなギャップの場合はどうでしょう。自分だけは、「まだまだ若い」「まだまだイケる」と思い込んでしまうこと。おまけに、「私だけが世界のヒロイン」で「他人は私を引き立てているだけ」とでも言いたげな女王様然とした態度をとってしまうこと。要するに、自分と他人との間で、本人についての評価や認識が大幅にズレているという意味でのギャップです。これはかなりマズいはず。映画『ヤング≒アダルト』の主人公、メイビス・ゲイリーはまさにこの種のギャップの持ち主です。

ミネソタ州ミネアポリスに住むメイビスは自称作家。実際には、少女向け小説・ヤングアダルトシリーズのゴーストライターで、30代のバツイチ・シングル。愛犬のポメラニアンと暮らし、気晴らしにアルコールをガブ飲みするのは日常茶飯事。二日酔いの朝には、コカコーラをペットボトルから直接口に流し込みます。恋人はいないけれど、きちんとすれば衰えなど感じさせない美貌に吸い寄せられてくる男性は少なくありません。でも、一夜限りの男性と迎える朝に、どこか虚しさを感じる今日この頃。手がけているシリーズも人気が下降気味で、最近は公私ともになんだか上手くいきません。そんな折、高校時代の元恋人のバディとその妻から送られてきたのが、赤ちゃん誕生パーティへの誘い。そこで彼女は、「そうだ、バディとヨリを戻そう。彼だっていまのような生活には満足していないはず。二人で、あの素晴らしい日々を取り戻そう!」と勝手に決断し、故郷へと旅立つのです。

ここから、メイビスの暴走が始まります。バディは第一子の誕生で幸せのど真ん中。彼女にヨリを戻そうなどと一言も言っていないのに、自分さえその気になれば、誰もが憧れたかつてのような人気者に戻れるとメイビスは思い込んでいるのです。精神は、人気者だった高校時代から全く成長していません。問題点は客観性の欠如でしょう。彼女の言動は一貫して、徹底的に主観的。人の気持ちなど無いも同然。ちやほやされて育ったことが、こんな人格形成に影響したのでしょうか。昔のボーイフレンドが既婚であり子供がいようと私と一緒の方が幸せだと思い込み、妻を押しのけてヨリを戻そうと奮闘したり、故郷から離れずに暮らしている冴えない同級生たちを見下すかのような言動が続出します。堂々としていて自信みなぎる姿はある意味では立派ですが、残念ながら自信の根拠が実に浅いのです。

でも、そんな彼女もどこか憎めません。その理由はきっと、彼女の中に “女の真実”が隠されているから。女性は多かれ少なかれ最も輝いていた(であろう)時代の自分を引きずる生き物であるという真実です。ただ、たいていの人の場合、「あの頃はよかった」と当時を懐かしむことがあったとしても、その頃に戻れると信じて疑わないだけの無邪気さや図々しさは持ち合わせていません。だから、当時と今を比べて少し諦めに似た想いを抱えたり、「今は今で幸せだから」と満足していたりして、十人十色の“現在”を生きているのです。ところがごく稀に、“あの頃”のまま、時間がフリーズしたような人を目にすることも。分かりやすいのは、最も輝いていた時代のヘア、メイク、ファッションをそのまま継続している人。そういう人はきっと、人間は年を経れば似合うものが変わるということを受け入れられずにいるでしょう。そういう人を目にしたとき、残念な気持ちになるものですが、これは見た目に限ったことではないのです。

メイビスの場合、残念なのは圧倒的に内面です。彼女には大人なら当然持っていて良いはずの客観性や良識のかけらもなし。周囲のことなどお構いなし。大人が客観性を失ったら単に、歳をとった子供でしかありません。さらに彼女の不幸は、過去ばかりを見て、現在ある可能性を手にできないところ。10代の頃と、30代になったいまでは、可能性に違いがあるはず。10代には戻れなくても、30代だからできることがあるし、過去があるからいま手にできる幸せもあるということを見逃してしまっているのです。ただ、彼女のように極端な行動に走らなくても、同じようなことを思ってしまった経験を持つ人は少なくないのでは? 自分を振ってほかの女性と結婚した元カレは、自分と一緒になったほうが絶対に幸せだったはずだと思ったことは? 田舎に残り早くに結婚した子持ちの友人よりも、都会で一人暮らしする私のほうが断然エキサイティングな生活を送っていると意味もなく優越感に浸ったりしたことは?

大人になれば、価値観、幸せの尺度は人それぞれなのだと理解できるもの。人は人、自分は自分。歩む道が、目指す場所が違うのだと頭で理解はしていても、多くの出来事を自分だけの尺度で測りがちなのが人間です。それはきっと、いまの自分にどこか不安を抱えているから。だからこそ、「これじゃいけない、手を打たなきゃ」と自分の不安に率直に反応したメイビスの心の動きは、多くの同世代女性たちに痛いほど響くはずなのです。

もしかしたら、彼女の非常識な言動を笑い飛ばせる人は、本当に幸せな人なのかもしれません。もしくは、メイビスと自分には全く接点がないと“思い込んで”いる人…。でも、自分には関係のない話だと笑い飛ばしてみたところで、実際には本当にそうとも言い切れないのが危険なところ。まさにそこに、世間と自分との認識にギャップがあるのかもしれないのですから。

そう考えると、この作品は踏み絵的な性格を持っているのかもしれませんね。果たして、あなたにメイビス的なギャップはあるのかないのか。この、ちょっとアクの強いヒューマンドラマを通して、いまの自分と向き合ってみてはいかがでしょうか?

《牧口じゅん》

映画、だけではありません。 牧口じゅん

通信社勤務、映画祭事務局スタッフを経て、映画ライターに。映画専門サイト、女性誌男性誌などでコラムやインタビュー記事を執筆。旅、グルメなどカルチャー系取材多数。ドッグマッサージセラピストの資格を持ち、動物をこよなく愛する。趣味はクラシック音楽鑑賞。

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