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【シネマモード】ポーランドの名もなき英雄に思いを馳せる、『ソハの地下水道』

先日、EUROサッカーを観戦するため、そして大切な友人を訪れるため、ポーランドのワルシャワに行ってきました。東欧の街・ワルシャワに行ってきたと言うと、「暗い?」と聞かれることも多かったのですが、中心地は驚くほど近代的で大変な建設ラッシュ。ヨーロッパ有数のスポーツイベント開催中ということもあり、活気にあふれてもいました。多くのユーロ圏の都市が財政難で苦しんでいますが、ポーランドの通貨はユーロではなくズロチのまま。そのおかげもあり、経済は悪くないのだと友人は教えてくれました。

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『ソハの地下水道』 -(C) 2011 Schmidtz Katze Filmkollektiv GmbH, Studio Filmowe ZEBRA, Hidden Films Inc.
『ソハの地下水道』 -(C) 2011 Schmidtz Katze Filmkollektiv GmbH, Studio Filmowe ZEBRA, Hidden Films Inc. 全 3 枚
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先日、EUROサッカーを観戦するため、そして大切な友人を訪れるため、ポーランドのワルシャワに行ってきました。東欧の街・ワルシャワに行ってきたと言うと、「暗い?」と聞かれることも多かったのですが、中心地は驚くほど近代的で大変な建設ラッシュ。ヨーロッパ有数のスポーツイベント開催中ということもあり、活気にあふれてもいました。多くのユーロ圏の都市が財政難で苦しんでいますが、ポーランドの通貨はユーロではなくズロチのまま。そのおかげもあり、経済は悪くないのだと友人は教えてくれました。

現代的なブティックやカフェ、レストランも建ち並び、想像以上の発展ぶりを感じさせてくれたワルシャワでの滞在はとても楽しいものでしたが、その発展の陰には悲しい歴史があることも当然ながら思い知らされました。この街が近代都市として発展しているのは、東京と同様に第二次世界大戦中にことごとく破壊されているから。ポーランド侵攻で廃墟と化した旧市街は、いまでは細かいヒビに至るまでが復元され、かつての町並みを取り戻し「ワルシャワ歴史地区」として、1980年にユネスコの世界遺産に登録されています。

そして、ポーランドといえば、ナチによるユダヤ人迫害の記憶も、決して消えてはいません。ホロコーストの象徴とも言えるアウシュヴィッツ強制収容所があるのもこの国。ユネスコは、二度と同じ過ちを人類が起こさないようにと、1979年に負の世界遺産として認定しています。ただ、悲劇が収容所だけで起きたわけでないのは周知の事実。ワルシャワでも、近代的なビルの裏側に、ゲットーがそのまま残っていたりします。発展する大都市の片隅にも、忘れられない記憶は確実に残されているのです。

そんな辛い歴史を描いているのが、『太陽と月に背いて』、『敬愛なるベートーヴェン』などで知られるアグニエシュカ・ホランド監督の新作『ソハの地下水道』。ホロコーストの嵐が吹き荒れる1943年、ナチス占領下のポーランドの街・ルヴフ(現ウクライナ領リヴィヴ)が舞台です。主人公は、下水処理に携わる貧しいポーランド人・ソハ。生計を立てるためにはコソ泥さえ厭わない、ずる賢い小悪党です。そんな彼が、仕事中に下水路でユダヤ人グループを発見するところから物語は動き出します。ユダヤ人たちは、強制収容所行きを免れるため、ゲットーから下水道へと続く通路を掘っていたのです。彼らをナチスに売り渡せば報奨金が得られますが、ソハはこう考えます。迷路のように入り組んだ地下水道は自分が一番よく知っている。ここに彼らを住まわせて日々見返りを受け取れば、そちらの方が得なのではないかと。そして、ソハとユダヤ人たちとの秘密の関係が始まるのです。

第二世界大戦当時、ユダヤ人を救おうとした人の物語は既に映画にもなっています。オスカー・シンドラーや杉原千畝らがその代表。彼らは自らの危険も顧みず、人助けを行った歴史的英雄です。でも、名もなき市民の中にもユダヤ人を匿った人が多くいたと耳にします。それがバレたら、ナチスによる死刑が待っていると分かっていても。

本作の主人公・ソハは、そんな歴史的英雄とは違います。決して尊敬されるような人物ではありませんでした。しかも、自ら率先して人助けをしたわけではありません。ナチスからもらう一度きりの報奨金よりも、日々の収入を選んだという意味で、自分の利を優先した悪い奴と言えるかもしれません。でも、物語が進んでいくうちに、彼は自分でも気づかぬうちに、心の声に従いユダヤ人を匿うことを選んだのではないかと思えてくるのです。極悪非道の限りを行い続けるナチス、そして彼らを手伝う親衛隊に、嫌悪感を覚えているらしいシーンが幾度も登場しています。その感情を表に出すことが許されなくても、彼は決してそれを手放すことはありません。もしナチスに逆らえば家族の命がなくなると分かっていても、人として決して妥協できない部分を、彼は無意識のうちに守り抜いたのかもしれません。

やがて、ユダヤ人たちが地下水道に隠れているといううわさが広まり、ソハにとっても大きな危険が迫ってきます。「もう手を引く」。そう決めたソハですが、出会いから14か月が過ぎていたそのときすでに、ソハにとってユダヤ人たちは単なる“金づる”ではなくなっていました。そして、ソハはこれまでの彼からは信じられないような行動に出るのです。そのエンディングはまさに奇跡としか言いようがありません。

驚くべきことに、これは実話です。語り尽くされたかに思われている戦争の悲劇に、まだまだ驚くべき物語が遺されていることにも改めて驚かされる作品でした。そして、きっとこういった強く美しい市民による“まだ語られぬ物語”が、語られることを待つこともなくひっそりと眠っているであろうことも想像に難くありません。

戦争は美しい街を廃墟に変えます。そして、人の良い隣人さえも残忍な殺人者に変え、無愛想な小悪党さえも勇気ある英雄へと変えるのです。落ちるか、這い上がるか。その違いはきっと、極限状態にこそ顔を出す人間としての本質の違いなのでしょう。だから、いざというときにこそ、強くありたい。この美しい作品を観終わって、涙をぬぐいながら、そんなことを考えていました。

ポーランド旅行中、多くの人たちはとても無愛想でつっけんどんでした。でも、少し言葉を交わすと、誰もが別れ際にとびきりの笑顔を見せてくれました。その温かさといったら、何とも印象深い国民でした。彼ら、そして彼らの家族の中にも、きっと多くの名もなき英雄がいることでしょう。

『ソハの地下水道』は、衝撃的でショッキングな物語でもあります。でも、そこには綺麗ごとでは描ききれない、人間の本当の美しさが描き尽くされていました。心を荒ませるような、ひどいニュースばかりが相次ぐいまだからこそ、この作品はこんな風に力強く心に訴えてきました。ああ、人間って捨てたものじゃない。

3.11で勇気ある行動を見せてくれた多くの人々、そして先日幕を閉じたロンドンオリンピックで活躍した、多くのヒーロー、ヒロインの強さを思い出しながら。

《牧口じゅん》

映画、だけではありません。 牧口じゅん

通信社勤務、映画祭事務局スタッフを経て、映画ライターに。映画専門サイト、女性誌男性誌などでコラムやインタビュー記事を執筆。旅、グルメなどカルチャー系取材多数。ドッグマッサージセラピストの資格を持ち、動物をこよなく愛する。趣味はクラシック音楽鑑賞。

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