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25歳で早逝したラッパー2PACの真実描く『オール・アイズ・オン・ミー』公開決定

エミネム、スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレーらがいまも惜しみないリスペクトを贈り続ける、25歳でこの世を去った音楽界のレジェンド

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『オール・アイズ・オン・ミー』(C)2017 Morgan Creek Produc4ons,Inc.
『オール・アイズ・オン・ミー』(C)2017 Morgan Creek Produc4ons,Inc. 全 3 枚
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エミネム、スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレーらがいまも惜しみないリスペクトを贈り続ける、25歳でこの世を去った音楽界のレジェンド、2PAC(トゥパック)。本日6月16日、彼の生誕日に、その生涯を描く『オール・アイズ・オン・ミー』(原題:ALL EYEZ ON ME)の日本公開決定が発表された。

ニューヨークのスラムで生まれ育った2PACこと、トゥパック・シャクール。急進的な黒人解放組織「ブラック・パンサー党」党員だった母に連れられ、住まいを転々としていたため、周囲に馴染めない辛い幼少期を送っていた。役者に憧れていた彼は、12歳のときにハーレムの劇団に入団し舞台デビューを果たす。1986年、一家はボルチモアに移り住み、2PACはボルチモア芸術学校に入学。そのころから彼はラップに没頭しはじめ、数々の詩を書き始める。17歳のときにはカリフォルニアに移り住むが、そのころには母親はドラッグ中毒で家庭は崩壊していた。

そんな彼は、ラッパーとなる夢を追い続け、ついに1991年に2PACの名で、アルバム「2Pacalypse Now」でソロデビュー、着々とその名を上げていく。だが、ある日、彼はレコーディングに訪れていたスタジオで強盗に襲われ、その身に銃弾5発を受けてしまう。一命を取り留めた2PACは、この事件を仕組んだのは、たまたま同じスタジオにいたショーン“パフィ”コムズとノトーリアスB.I.G. だと思い込む。西海岸のヒップホップ・レーベルDeath Rowレコードに所属する2PACは、東海岸のBad Boyレコードのショーン“パフィ”コムズやノトーリアスB.I.G.をことあるごとに非難、ヒップホップ界史上最悪の東西抗争が幕を開けてしまう。そしてついに、1996年9月7日、ラスベガスで銃撃された2PACは、その6日後の9月13日、25歳の若さで人生の幕を閉じる――。

北米では2PACの誕生日6月16日に合わせ、約2,000館という大規模なスクリーン数で公開初日を迎えるという本作。いまなお影響力を持つ音楽界のレジェンドを描くだけあり、記憶に新しい大ヒット映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』(‘15)をしのぐ盛り上がりを見せている。

アルバム総売上枚数7,500万枚を超え、この世を去った後も未発表曲によりアルバムが幾つもリリースされ、全てが大ヒット。そして今年、ジャネット・ジャクソンやチャカ・カーンらを抑えてロックの殿堂入りを果たした2PAC。死してなおも、世界中のアーティストや音楽ファンを魅了し続けている。

黒人への差別に対する怒りを思うままにラップで表現。その成功への道のり、仲間との別れ、裏切り、カリスマ性と名声の代償、警官狙撃、名誉毀損で告訴、東西海岸抗争、そして自身の被弾など、本作は、センセーショナルなゴシップを放ち続け、常に危険と隣り合わせにいた彼の知られざる真実を描き、まさに音楽映画の枠をぶち破る作品が誕生した。

『オール・アイズ・オン・ミー』は今冬、全国にて公開。

《シネマカフェ編集部》

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