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【MOVIEブログ】追悼 雅子さん

<1月30日>
フランス映画を愛する同志を失ってしまった。

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<1月30日>
フランス映画を愛する同志を失ってしまった。

このシネマカフェでお互いブログを書いていることが最初の縁だったはずなので、僕と雅子さんとの付き合いはそんなに古いものではなかった。初めて会話をしたのがいつなのかはあまり覚えていないのだけど、お互いのブログを読んでいるうちに、何となくお互いを分かったような気分になり、何となく古くからの知り合いのような関係になっていた感じがする。雅子さんも、同様に感じていたと思う。

生涯のベストワン作品は『男と女』だと言っていた雅子さんは、フランス映画が本当に好きだった。フランス映画祭や東京国際映画祭などでお会いすることも多く、いつでも最近見たフランス映画に関する話で即座に盛り上がることができた。一緒に食事をすると、3時間が10分くらいに感じられるほど、お互い映画の話に夢中になった。雅子さんはアート系から商業系まで偏りなくフランス映画を愛し、ファンとしての姿勢を維持したまま、自ら映画のアピール役も買って出ていた。

実際、世間がフランスという国に対して抱く古き良きイメージを、雅子さんほど体現している存在はいなかったのではないか。美しく、繊細で、おしゃれで、という形容をモデルを職業とする方に用いるのは野暮ではあるけれど、華やかな席が似合う優雅な気品と、パリのカフェに溶け込みそうな軽やかさの双方を備えて、そして小難しいことでも楽しそうに語るのが雅子さんであり、人々が憧れを持ってイメージするフランスを、雅子さんはその美と知性とで体現していた。

フランスも変貌すれば、フランス映画も変わってゆく。それでも、ヌーヴェル・ヴァーグはいつまでも新しい世代に刺激を与え続ける。デプレシャンやケシシュが今の映画を牽引していることにも疑いはない。ギヨーム・ブラックは未来そのものだ。フレンチ・ノワールは切れ味を増し、アザナヴィシウスやナカシュたちはバランスの取れたヒット作を作り続ける。これら全てについて語れる人が、雅子さんだった。フランスを体現しながら新旧のフランス映画を語れる人だった。その人がいなくなってしまった。この穴は誰にも埋めることができない。日本におけるフランス映画にとって、これほど大きな喪失はない。

もちろんフランス映画以外にも、雅子さんは膨大な数の映画を見ていた。僕は彼女の鑑賞眼をとても信頼していたので、3年前の東京国際映画祭の「Natural TIFF」部門の審査員をお願いしてみたら、快諾してくれた。そして、雅子さんは断トツで気に入ったという『聖者たちの食卓』を強力に推し、当作をグランプリ受賞に導いた。その後『聖者たちの食卓』は日本公開が決まり、見事スマッシュヒットを記録した。雅子さんのセンスが証明された素晴らしい例だ。

亡くなる10日ほど前にメールでやりとりをしたのが最後になったけれど、その内容は相撲に関する世間話で、雅子さんが直面している闘病生活の深刻さについては、微塵も感じられないものだった。強い人だったのだなあ、と今さらながらに思う。

僕も雅子さんもトリュフォーとドゥミが大好きで、よくドヌーヴの話をした。もっと話したかった。全然足りない。こんなに気軽に映画について語れる同世代の友人(と呼んで許してもらえるかな)は、もういない。自分の胸に開いた穴の大きさに気付き、ただただ呆然とするばかりだ。

僕は雅子さんの葬儀に出席できない。ベルリン映画祭に出張中だからだ。出発を延期しようとも思った。でも、「いいからヤタベさんはベルリンで良い映画を探してきて。そしてそれをブログに書いて」って雅子さんは絶対に言うと思う。100%言うと思う。なので、出張、行ってきます。

雅子さん、いつも気さくに相手をしてくれて、本当にありがとうございました。お相撲に、一緒に行きたかったなあ!あ、トリュフォーやドゥミに会ったら教えてね。面白い映画を見つけたら、僕からも報告するから。

本当にありがとう。さようなら。

《矢田部吉彦》

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