【ディズニーが描く現代女子なプリンセス vol,2】「ずきんを脱いだ、赤ずきん」
制服を着た素敵な人に心惹かれたことはありませんか? 学生時代はもちろん、社会人となってからも、制服姿はそこここに。制服を着ていると、その人のセンスはわりと分かりにくいもので、魅力が水増しになることも。
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制服を着た素敵な人に心惹かれたことはありませんか? 学生時代はもちろん、社会人となってからも、制服姿はそこここに。制服を着ていると、その人のセンスはわりと分かりにくいもので、魅力が水増しになることも。制服はいわば、その人が何者であるかを示した記号。もし、その記号がステイタスを示すものであるならば、一種のブランドやラベルになります。そして、それを脱いだらそれほどでも…などということも。それを認識しているからでしょうか、いつまでも女子高生というラベルに固執するあまり、高校を卒業しても制服を着続ける人もいるようです。
おとぎ話に登場する、最もわかりやすい記号を持つヒロインといえば、“赤ずきん”。名前の由来は、赤い頭巾をかぶっているから。話題のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』でも、シンデレラ、ラプンツェルと並んで登場しますが、呼び名はもちろん“赤ずきん”。ブルーのパフスリーブワンピースの上に、たっぷりとしたドレープのある真っ赤な頭巾を羽織り、裾を揺らしながらスキップする姿はキュートで可憐な少女そのもの。
ところが、その可憐なイメージとは違い、映画で描かれる彼女は、極度の食いしん坊で、パン屋の夫婦の好意に甘えてパンをただ食い。しかも、おばあさんに持って行くと言いながら、道を歩きながらひたすらもぐもぐと口を動かし、お土産をほとんど平らげてしまう、チャーミングな女の子。そんな彼女に忍び寄るのがオオカミ…とパン屋の夫婦。子供を持つことができずにいるパン屋の夫婦が願いを叶えるため、魔女に“必要”言われた赤い頭巾を狙うのです。
赤ずきんちゃんから、頭巾を取ったらいったい何が残るのでしょう。そして呼び名はどうなってしまうのか。一度、パン屋が力づくで赤い頭巾をとりあげた時、彼女は恐ろしいほどの悲鳴を上げます。それは彼女にとって、自分が自分であることの拠り所。ところが、ある試練を経て彼女は赤い頭巾を手放すことを自ら決めます。赤ずきんの物語には、さまざまな解釈がなされていますが、少女が大人になる過程を暗示的に描いたものだと考える人も少なくありません。頭巾が、血のように真っ赤であることも、重要な手がかり。力づくで取り上げられそうになった時の彼女と、自ら手放す決心をしたときの彼女の違いを見れば、そこに“女性性”や“成長”が暗示されていることは明らか。赤い頭巾を手放すことは、少女性からの決別とも言えるのです。
では、分かりやすく都合の良い記号を脱いだ後、人はどうするのでしょう。女子高生は素の女の子として、消防士、医者、パイロット、キャビンアテンダントは素の人間として、トレードマークが外れたときにでも、魅力的でいられるかどうかが問題です。赤ずきんちゃんのように、自ら「自分に赤い頭巾はもういらない」と記号を捨てる潔さがあるならば、自分らしさ、自分に似合うものがきっと見つけられるはず。
映画で描かれる「めでたしめでたし」の後、赤い頭巾を脱いだ彼女は、もはや赤ずきんではなく、ひとりの少女として活躍するのがその証拠。その際、赤い頭巾のかわりに披露されるのは、大人が好むファッションアイテム。そして、一度オオカミに騙されたことで、目覚めた彼女のしたたかさは、明らかに乙女のものではありません。イノセントに人(そしてオオカミも!)を信じすぎたことで痛い目に遭い、そこから学んだ彼女は、かなりアグレッシブな側面も押し出しています。それはまさに大人の自立をも思わせるのです。もはや純粋なだけではいられなくなったわけですが、それは赤い頭巾の下に隠されていた本性が露わになっただけとも考えられます。そのあたりの変化は本作の見どころのひとつですから、ファッションと共に、作品を観てのお楽しみとしておきましょう。
さて、彼女が手放すことになる赤い頭巾は、おばあちゃんにもらった大切なものではありました。ただ、自らが欲して作ってもらったというよりは、おばあちゃんが作ってくれたというやや受け身の表現がなされています。もちろん、少女のお気に入りではあったのでしょうが。赤い頭巾を脱いでからの少女は、自ら新しいアイテムを選び、自らの意志で動きます。実は劇中、彼女が母や祖母が理想とするいい子になろうと努力していたという告白をする場面も登場。赤い頭巾が象徴するものは、少女性、幼さ、誰かの保護を受けるか弱き存在ということ。永遠に、記号やブランドに頼ってなどいられないと気づいたとき、人間としての本当の勝負が始まるのかもしれません。そんなことに気づき、少女から大人の女性への扉を開き、階段を上り始めた少女。あなたにとっての赤い頭巾はなんですか? 「めでたしめでたし」のその後を描くこの映画には、そんなメッセージが込められているのかもしれません。ぜひ自分と重ねあわせて楽しんでみてください。
『イントゥ・ザ・ウッズ』は3月14日(土)より全国にて公開。
おとぎ話に登場する、最もわかりやすい記号を持つヒロインといえば、“赤ずきん”。名前の由来は、赤い頭巾をかぶっているから。話題のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』でも、シンデレラ、ラプンツェルと並んで登場しますが、呼び名はもちろん“赤ずきん”。ブルーのパフスリーブワンピースの上に、たっぷりとしたドレープのある真っ赤な頭巾を羽織り、裾を揺らしながらスキップする姿はキュートで可憐な少女そのもの。
ところが、その可憐なイメージとは違い、映画で描かれる彼女は、極度の食いしん坊で、パン屋の夫婦の好意に甘えてパンをただ食い。しかも、おばあさんに持って行くと言いながら、道を歩きながらひたすらもぐもぐと口を動かし、お土産をほとんど平らげてしまう、チャーミングな女の子。そんな彼女に忍び寄るのがオオカミ…とパン屋の夫婦。子供を持つことができずにいるパン屋の夫婦が願いを叶えるため、魔女に“必要”言われた赤い頭巾を狙うのです。
赤ずきんちゃんから、頭巾を取ったらいったい何が残るのでしょう。そして呼び名はどうなってしまうのか。一度、パン屋が力づくで赤い頭巾をとりあげた時、彼女は恐ろしいほどの悲鳴を上げます。それは彼女にとって、自分が自分であることの拠り所。ところが、ある試練を経て彼女は赤い頭巾を手放すことを自ら決めます。赤ずきんの物語には、さまざまな解釈がなされていますが、少女が大人になる過程を暗示的に描いたものだと考える人も少なくありません。頭巾が、血のように真っ赤であることも、重要な手がかり。力づくで取り上げられそうになった時の彼女と、自ら手放す決心をしたときの彼女の違いを見れば、そこに“女性性”や“成長”が暗示されていることは明らか。赤い頭巾を手放すことは、少女性からの決別とも言えるのです。
では、分かりやすく都合の良い記号を脱いだ後、人はどうするのでしょう。女子高生は素の女の子として、消防士、医者、パイロット、キャビンアテンダントは素の人間として、トレードマークが外れたときにでも、魅力的でいられるかどうかが問題です。赤ずきんちゃんのように、自ら「自分に赤い頭巾はもういらない」と記号を捨てる潔さがあるならば、自分らしさ、自分に似合うものがきっと見つけられるはず。
映画で描かれる「めでたしめでたし」の後、赤い頭巾を脱いだ彼女は、もはや赤ずきんではなく、ひとりの少女として活躍するのがその証拠。その際、赤い頭巾のかわりに披露されるのは、大人が好むファッションアイテム。そして、一度オオカミに騙されたことで、目覚めた彼女のしたたかさは、明らかに乙女のものではありません。イノセントに人(そしてオオカミも!)を信じすぎたことで痛い目に遭い、そこから学んだ彼女は、かなりアグレッシブな側面も押し出しています。それはまさに大人の自立をも思わせるのです。もはや純粋なだけではいられなくなったわけですが、それは赤い頭巾の下に隠されていた本性が露わになっただけとも考えられます。そのあたりの変化は本作の見どころのひとつですから、ファッションと共に、作品を観てのお楽しみとしておきましょう。
さて、彼女が手放すことになる赤い頭巾は、おばあちゃんにもらった大切なものではありました。ただ、自らが欲して作ってもらったというよりは、おばあちゃんが作ってくれたというやや受け身の表現がなされています。もちろん、少女のお気に入りではあったのでしょうが。赤い頭巾を脱いでからの少女は、自ら新しいアイテムを選び、自らの意志で動きます。実は劇中、彼女が母や祖母が理想とするいい子になろうと努力していたという告白をする場面も登場。赤い頭巾が象徴するものは、少女性、幼さ、誰かの保護を受けるか弱き存在ということ。永遠に、記号やブランドに頼ってなどいられないと気づいたとき、人間としての本当の勝負が始まるのかもしれません。そんなことに気づき、少女から大人の女性への扉を開き、階段を上り始めた少女。あなたにとっての赤い頭巾はなんですか? 「めでたしめでたし」のその後を描くこの映画には、そんなメッセージが込められているのかもしれません。ぜひ自分と重ねあわせて楽しんでみてください。
『イントゥ・ザ・ウッズ』は3月14日(土)より全国にて公開。
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