
―いまでこそ芸術史に名を遺すポール・ゴーギャンですが、家族や社会から理解されず、拒絶を味わっていますね。どうしようもない内なる衝動にかられて創作活動を行うゴーギャンの姿に、芸術家の本質を垣間見たようで、とても胸を打たれました。創作のためには、倫理も、家族をも犠牲にしてしまうゴーギャンの衝動を、監督ご自身はどのようにとらえていますか?
「『ノア・ノア』の中からも実際に感じられるのは、絵画史上で自分の立ち位置を確立したかったということです。彼は、自分は正しいと思っていたし、自分が求めていることも、行くべき道もわかっていたわけです。当時は自分が正しいということを証明できなかったかもしれませんが、現在は歴史的に重要な画家として認められており、各地で話題となる人物となった。振り返ってみれば、彼は正しかったということになりますね」
―他者からは理解されにくいけれど、己を貫くことで独自性の強い傑作を残し、彼の名を後世に残すことにもなりました。ゴーギャンの場合は、最終的に高い評価を得ることになりましたが、自分が納得いく作品を生み出したとしても、誰しもが高く 評価されるとは限りません。芸術家にとっての“報酬”とは何だと思われますか? また、監督であるご自身にとっての一番の“報酬”とは?
「自分も含めて、いかなるアーティストもそうだと思うけれど、自分を理解してもらえるというのが一番大きな報いだと思う。作品を観てもらえるのが最も嬉しいことですが、さらに自分のアプローチを理解してもらえることが一番の報いだと思っていると思います。でも、必ずしもそれが起きるとは限らない。ゴーギャンの場合は、とても過激な部分があって、自分は貧しさには怯えない、芸術のために生きて死ねるという強い信念があり、実際にそうなってしまった。彼は、家族をはじめいろいろな犠牲を払い、孤独の中に生き、困難を経験しました。彼にとって貧しくて唯一困ることは、創作活動ができないことだったんです」

―映画では、2度あるタヒチへの移住のうち最初の旅を描いています。タヒチでの野性的な暮らしに心を残しながらも、強制的に文明=フランスへと戻らざるを得なくなる。そんなゴーギャンの“敗北”に焦点を当てた理由は何だったのでしょう。
「『ノア・ノア』の紀行文の最後に描かれていますが、彼はみすぼらしいアーティストとしてフランスに強制送還されたわけです。彼は野性的な人間になりたいと思っていましたが実際は、なかなかそうはいきませんでした。ただ、そんな終わりを迎えつつも、芸術的視点からすれば、タヒチでの日々は光り輝くような色彩が生まれたときであり、作品が芸術として昇華する時期でもありました。人間としては貧しくてお金が無くてみすぼらしくても、画家としては自分が求めている絵画に出会い進化するという時期。当時の彼を見るとたしかに敗北を喫したかもしれませんが、いまある栄光をつかんだ時期だとすれば、それは“成功”といえるかもしれない。とても興味深い時期なのです」

―同じ創作に関わる者として、 監督がゴーギャンに共感する部分、うらやましく感じる部分などはあるのでしょうか?
「彼をうらやましく思うことは一切ないですね。大きな犠牲を払い、過酷な人生を送りましたからね(笑)。家族や子どもを失うなど、私が絶対に経験したくないことばかり。だた、過激なまでに自分の道を追い求めたことには敬意を表します。彼は家族や友人と一切関係を切っていった。そして、常に怒りを抱えつつ、世の中を考察しながらその動きに目を配り、行く末を心配したり他者に気を配ったりしている。そこはとてもリスペクトしているし、インスピレーションの源になりますね」(聞き手:牧口じゅん)
『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』
公開:1月27日(土)よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国にて順次公開中
配給:プレシディオ