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【MOVIEブログ】Cinemage: 黄色いハンカチ(後)

念のためということでその後病院に2~3日ほど入院していたのだが、娘は目が覚めても言葉を話すことができなかった。

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念のためということでその後病院に2~3日ほど入院していたのだが、娘は目が覚めても言葉を話すことができなかった。頭の打ち所が悪かったのか、事故によるショックなのか何なのか、何度も検査はしてみたが原因は分からず、娘はそれから口をきけなくなってしまった。

せっかく念願の大学に受かったというのに、娘の人生はすっかり風向きが変わってしまった。それはまるで山の天気のように、さっきまで晴れ渡っていたものがあっという間に冷たい雨へと変わってしまったかのようだった。娘からは言葉だけでなく、明るさのようなものも消えてしまった。

「私がハンカチを取っていれば」

あの時あのハンカチが自分の前で舞っている間に私が取り払うべきだった。そうしていれば娘はこんなことにはならなかった。わざわざ自分の前で余計に舞っていて、それをする時間も充分あったのに。なぜ、自分で取らなかったのか。悔やんでも悔やみきれなかった。

それでも、娘は大学には通い続け4年で卒業もした。卒業後には聴覚障害者用に映画に日本語字幕をつける会社に就職口も自分で見つけてきた。就職してからも娘の人生が好転しているような感じはなかったが、勤め始めてから3~4年たった頃だろうか、娘の顔に笑顔が戻ってくるようになった。はじめは会社での仕事が楽しくなってきたのだろうかと思っていたが、そういうことではなかった。

「あの子、彼氏ができたみたいよ」

妻が嬉しそうにそう言っているのを聞いた時には、年ごろの娘を持つ父親であれば、なんだと!?と怒りというか、嫉妬というか、不安というか、寂しさのようなものを感じるものなのかもしれないが、私がその時感じたのは純粋な喜びだった。嬉しかった。これでやっと娘の人生にも日が差してくる。そう思ったのだった。そして、そこからは早かった。気がつけば娘から結婚の話を聞いていた。その時に初めて娘の彼氏の名前を知った。とても珍しい名前だったので、忘れようがない。あの日、かろうじて娘を救ってくれた丸帝くんだった。

ある日、偶然仕事先で再会したそうだ。娘は事故後に彼と会うことはなかったので彼の顔は知らなかったのだが、すぐに彼の方で娘のことが分かったようで、その後は巷の男女が恋に落ちるように、娘にしたらそれ自体が奇跡のようなことだが、実に普通にお互いがお互いにとって必要な存在になったようだ。私は娘がそういう風に普通に人生を歩むことができたことが本当に嬉しかった。あの日私がハンカチを取らなかったことで、この2人が出会えたんだとさえ思えるようになった。そして、もう1つの奇跡が起こった。

「お父さん、明日結婚します」

私の目の前で娘がしゃべった。あまりに久しぶりだったので、最初はそれが娘の声だとは思えなかったのだが、それは確かに娘の口から発せられていた。私は震えた。結婚式の前夜にこんなことが起こるなんて。涙をこらえることはできなかった。だが、その後に続いた娘の言葉は、私の涙を別のものに変えた。

「お父さん、結婚する前に1つだけ言っておきたいの。私が事故にあったあの日だけど、お父さんの前に黄色いハンカチが舞っていたでしょ。あれ、実は丸帝くんが近くであやつっていたの。よく街中で見かける小さい人形が不思議な動きをするオモチャあるでしょ、見えないくらいの細い糸であやつってるやつ。あれだったの。丸帝くんはそれで私の気を惹こうとしてたの。でも、うまくいかずにお父さんの前から動かせなかったんだって。わたし、そういう人と結婚するの。最初それを聞いた時には信じられないと思ったけど、もうわたしには彼しかいないの。幸せになれるかなんて分からない。でも、もうそれしかないの。だから、お父さんももうあの日のことは忘れてわたしたちの結婚を応援してほしいの」

私の頭からありとあらゆる血の気がひいた。自分の中で何かが音を立てていた。両目から溢れていた涙は涙とはちがう冷たい血のようなものになっていた。私の中から確実に何かが漏れていった。そうか、そういうことだったのか。それで彼はあの時、やたら謝っていたのか。やっと娘が幸せを掴んだと思っていたら、その相手はそんなふざけた男だったとは。だが、それでも娘はいいと言っている。そうなんだろうか。それでいいんだろうか。今度は私が言葉を失った。いまのこの気持ちを言葉にすることはできない。私はただただ黙っていた。そして、1つの事実に思い至った。だが、娘は言葉を取り戻したのだ。またここからいくらでも人生を取り返せるではないか。そうだ、まだ間に合う。それを言葉にしようとした瞬間だった。娘が私にこれ以上ないシンプルな形で結論を伝えた。

「お父さん、いままでありがとう」


(終わり)
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今回の映画は『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』です。
昨年仕事絡みで観たのですが、観た後にしばし呆然としてしまう衝撃を覚えた映画です。何も前情報を知らずに観たので、最初は何が起こっているのか分からなかったのですが、映画のテンションが凄まじくて、一気に引き込まれました。自分が執刀した手術で命を落とした患者の息子をその後も何かとケアしていた心臓外科医の主人公が、ある日その息子を彼の家に招いたことから不可思議なことが起こり、究極の悲劇が起こるという話なんですが、これが本当にイヤぁな話なんです。しかし、間違いなく映画としてはすさまじいレベルの才能。監督のヨルゴス・ランティモスは『女王陛下のお気に入り』で今年のアカデミー賞に最多ノミネートを果たしている、まさに鬼才です。この名前は覚えておいて損はないかと思います。

《text:Yusuke Kikuchi》

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