ドキュメンタリー映画『メレディス・モンク 踊る声、歌う身体』より、メレディス・モンクについてデヴィッド・バーンとビョークが語る本編映像をシネマカフェが独占入手した。
三つ編みがトレードマークのメレディス・モンクは、作曲家・歌手・演出家・振付家で、様々な音楽劇や映画、インスタレーションを手掛ける、N.Y.在住のアーティスト。3オクターブ以上の声域の声を楽器と捉え、ジャンルを超越したオリジナルな表現を追求し続けている。

ビョークは彼女のファンであることを公言し、またデヴィッド・バーンやフィリップ・グラス、ブライアン・イーノ、坂本龍一、「ダムタイプ」ら様々なアーティストに影響を与えてきた。

本作は、彼女の舞台やパフォーマンスの豊富なアーカイブ映像に、ビョークやデヴィッド・バーンらへのインタビューを織り交ぜながら、60年にもおよぶ活動の断片をコンセプト・アルバムのようにつなぎ合わせ、その独創的な表現と人生を描き出すドキュメンタリー。

70年代半ばにN.Y.へとやって来たデヴィッド・バーン。当時のソーホー、ダウンタウンは、治安は悪かったが魅力的でとにかく家賃が安かったそうで、メレディス・モンクらアーティストたちは、広い工場跡地を住居兼スタジオとして利用し、創作していた。
デヴィッド・バーンは、当時のメレディス・モンクについて「実験精神にあふれ、何にでも挑戦した。彼女の試みは、境界を打ち破った」とコメント。のちにデヴィッド・バーンは、自身の映画『デヴィッド・バーンのトゥルー・ストーリー』(86)で音楽と振付を彼女に依頼することとなる。
一方、ビョークがメレディス・モンクの曲を初めて聴き、魅了されたのは、16歳のころ。それから数年後、2001年9月11日。ドイツ・シュトゥットガルトでツアー公演中だったビョークは、アメリカ同時多発テロ事件が起きた直後のN.Y.市民に捧げるため、「ゴッサム・ララバイ」を歌った。ゴッサム(Gotham)とはニューヨーク市の愛称。
そのカバーを耳にしたメレディス・モンクは感動し、ビョークに手紙を送ったそうで、ビョークは「私は“まさか私を知ってる?”って感じ。ファンとして感激だった」と当時をふり返る。
そして、「あなたの曲作りはまるで時空を超えるドアを開くよう。古代への扉を見つけたみたい。DNAレベルで影響を受けた」と共鳴。「(モンクの曲は)住み慣れた建物のよう。自由に部屋を行き来できる。どの曲も、音も」と心地よい部屋のようだと例え、「メレディスが半世紀も住むニューヨークのロフトは、過酷な環境の中にあるオアシスのような存在。『ゴッサム・ララバイ』も同じ。それは彼女の象徴ね」と語っている。
ほかにも、彼女に魅了されたアーティストたちから、「生々しい喜びに忠実でいる事。クックルクックと、彼女が独りで鳴くたびに、最小で最大の「何か」が舞台の上に立ち昇っていく! 驚き!」(中村佳穂/音楽家)、「社会から理解されないときも理解されたときも、チャーミングに自分の道を突き進む姿が印象的だった」(和田彩花/詩と言葉のアーティスト)、「自分が世界の中心になるのではなく、世界という風が自分の中を吹き抜けていくことをどこまでも受け入れること。多孔的な身体、という言葉を口にしてみる。その体はまるで無数の穴が空いた笛のようで、どこまでも跳ねるような高い音が鳴り続けている」(百瀬文/美術家)、「商業歌手として苦悩した母からの影響、同性パートナーの死……浮き沈みがありながらも常に歌い、踊り、ステージを創り続け、表現とともにある姿が目に焼き付いた」(金井冬樹/イラストレーター)と絶賛コメントが寄せられている。

コメント全文
中村佳穂(音楽家)
ものさしの上に、どうにか寝そべってもらって、やっと世界はメレディス・モンクを見つけることができる。芸術に親切に微笑み、理解の中へ早々に納めたりしない。
生々しい喜びに忠実でいる事。クックルクックと、彼女が独りで鳴くたびに、最小で最大の「何か」が舞台の上に立ち昇っていく! 驚き!
和田彩花(詩と言葉のアーティスト)
3オクターブの音域は、音楽も舞台芸術も原始的なものも前衛的なものも、全てを飲み込んでいく。社会から理解されないときも理解されたときも、チャーミングに自分の道を突き進む姿が印象的だった。既存の枠組みやイデオロギーに当てはめてメレディス・モンクを語ってしまうと、彼女らしさが見えなくなる気がした。
金井冬樹(イラストレーター)
彼女の作品はどの時代の作品も全く古さを感じさせない。まるで宇宙から届く天啓のようだ。商業歌手として苦悩した母からの影響、同性パートナーの死……浮き沈みがありながらも常に歌い、踊り、ステージを創り続け、表現とともにある姿が目に焼き付いた。とにかく、これから彼女の作品に出会って衝撃を受ける人が羨ましい。
菊地成孔(音楽家 / 文筆家)
自分の声と肉体を<自由な楽器である>ことを<発見>し、パフォーミングアートをしている者の多くが女性ではないかと私は思う。そして、その多くが「自分で発見」したが故に、我流ではないかと私は思う。つまり、全員が1人残らず本作でメレディス・モンクに触れ、先ずは畏敬の念を抱くべきだ、と私は思う。「ある時代のアートシーンの記録」を超え、あらゆるジェンダーの人々が観るべき優秀で赤裸々なドキュメンタリー。
山田由梨(作家・演出家・俳優)
「声」という誰もが持つ素晴らしい楽器の可能性をどこまでも拡張しながら、「内なる必然のために」、あるいはもっと大いなるものへ向けて、儀式を捧げるように作品を創るメレディスは、人類が創作するという営みを得た喜びを体現している。そんな彼女の人生を垣間見ながら、創作をする者として背筋が伸びた。
小田朋美(音楽家)
音楽であり舞踏であり演劇であり映画であり美術であり詩であり、でも結局はモンクとしか言いようのない彼女の作品に触れると泣き笑いのような安心感がこみあげるのは、彼女がありとあらゆる抑圧と分断を、絶え間ない修行とあの少女のような魅力的な笑顔で爆破し続けてきたからなんだろうと思った。きっとモンクはたった今も、私達の身体の中に眠る宇宙のフォークソングを聴いている。
ハチスノイト(歌手)
― 「自分が誰なのか」を徹底的に探すこと、知ること。これが全ての疑問への答えでしょうね。
ニューヨークでのワークショップで、メレディスは質疑応答をそう締めた。歌い方、作曲方法、音楽の技術的な事は一切教わらなかった。
自分の声は、そこにしかなかった。
吉開菜央(映像作家・ダンサー)
試写会場で一度映画を拝見し、二度目は家で爆音オンライン視聴した。二度目は思わず、映画を見ながらメレディスと一緒に声を出しながら観てしまった。これまた部屋で一人きり、応援上映ならぬ合唱上映状態で鑑賞。ああ、もう最高に気持ちが良かった。
百瀬文(美術家)
声は普遍的な魂に語りかける、と彼女は言った。奇妙な名前の亀と暮らしたことも、男性と女性、二人のパートナーとそれぞれの時間を過ごしたことも、メレディスにとっては隔たりのない愛と敬意をもって世界の輪郭をなぞろうとする旅だったのではないだろうか。自分が世界の中心になるのではなく、世界という風が自分の中を吹き抜けていくことをどこまでも受け入れること。多孔的な身体、という言葉を口にしてみる。その体はまるで無数の穴が空いた笛のようで、どこまでも跳ねるような高い音が鳴り続けている。
金川晋吾(写真家)
メレディス・モンクの音楽を聴いていると、その美しさに胸打たれると同時に、なんとも言えない笑いが込み上げてきます。その歌声は私たちの常識からすると「妙」なものであり、ときに聴く人の神経にさわりますが、それも含めて肯定的な力に満ちています。モンクの作品は言葉とそうでないもののあわいを行き来します。モンクが自身の生や表現を語る姿を見ることは、私たちのなかにある「言葉」というものの概念を揺るがし、押し広げてくれることでしょう。
『メレディス・モンク 踊る声、歌う身体』は7月25日(土)よりユーロスペースほか全国にて順次公開。
「メレディス・モンク監督作『ブック・オブ・デイズ』35mmプリント特別上映(併映:『エリス・アイランド』)」は7月25日(土)~30日(木)ユーロスペースにて上映。
「特集上映『パフォーマンス・アート:身体と空間をめぐる映画祭』」は8月1日(土)よりユーロスペースほか全国にて順次上映。



