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日系人監督キャリー・フクナガが切り取った、中南米の移民の現実と“希望の光”

ガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナが惚れ込み、揃って製作総指揮に名を連ねた映画『闇の列車 光の旅』。中南米・ホンジュラスから“夢の国”アメリカを目指し、列車で危険な旅をする移民たちを題材に、移民の少女とギャングとして列車に乗り込んだ少年の美しく、そして切ないドラマが展開する。監督を務めたのは32歳の新鋭キャリー・ジョージ・フクナガ。日本人の血を引き、カリフォルニアで生まれ育った彼が、なぜ移民を扱ったこの作品でデビューを飾ることになったのか? サンダンス映画祭では見事、監督賞を受賞した本作について話を聞いた。

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『闇の列車、光の旅』 キャリー・ジョージ・フクナガ監督 -(C) 富岡秀次/Shu Tomioka
『闇の列車、光の旅』 キャリー・ジョージ・フクナガ監督 -(C) 富岡秀次/Shu Tomioka 全 8 枚
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ガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナが惚れ込み、揃って製作総指揮に名を連ねた映画『闇の列車 光の旅』。中南米・ホンジュラスから“夢の国”アメリカを目指し、列車で危険な旅をする移民たちを題材に、移民の少女とギャングとして列車に乗り込んだ少年の美しく、そして切ないドラマが展開する。監督を務めたのは32歳の新鋭キャリー・ジョージ・フクナガ。日本人の血を引き、カリフォルニアで生まれ育った彼が、なぜ移民を扱ったこの作品でデビューを飾ることになったのか? サンダンス映画祭では見事、監督賞を受賞した本作について話を聞いた。

学生時代から短編映画を撮っていたというフクナガ監督。現実に起こったニュースを題材に短編映画を撮ろうとリサーチしていたときに、この中南米の移民の現実に出会ったという。
「彼らは貨物列車に乗ってメキシコを通過し、アメリカを目指すわけだが、その間、あらゆる危険に直面する。盗賊、ギャング、そして警察に自然環境。僕が聞いたこともないようなことばかりで強い興味を持ったんだ。それに、画としても“列車”は古きよき時代を思わせる。僕にすれば、この題材でまだ誰も映画を撮っていないということが信じられないほどだったよ」。

実際に、映画制作に当たっては様々なリサーチを敢行した。「まずは学術的な調査から入り」、その後、実際に列車に乗り込んだという。
「旅に出るごとに新たな発見があった。移民の人々と時間を共有し、理解し、彼らが自分の人生について話してくれる内容に耳を傾けたよ。そして、リサーチのほかに学んだことは、罪の意識だ。僕はリサーチが終われば、みんなを列車に残し、メキシコのどこかほかのところで執筆作業をするか、ミーティングなどのために去っていかなければならない。2〜3日を一緒に過ごした彼らは僕と別れて、自分たちの旅を続けなければならない。彼らは先へと進み、僕たちはもう二度と会うことはない。それはとても難しいことだった。なぜなら、僕には彼らがその先、もっと多くの困難に出くわすであろうことが分かっていたから。僕自身はまた元の生活に戻るだけだった」。

監督はほんの短い時間であれ、共に旅をした人々に思いを馳せ、こう続ける。
「(彼らが映画を)誇りを感じる必要はないけれど、もし、仲間の誰かが僕を覚えていて、映画を観て、旅を思い出してくれることがあればとても嬉しいね。彼らともう一度会えたら、それはとても特別なことだよ。でも、僕は目標を掲げてこの映画を作ったわけではないんだ。この映画とはずっと長い間共存してきた。かれこれ5年になるかな。自分と切り離して考えることはできない。この経験にどんな意味があったのかを悟るまでには、あと5年、10年はかかるような気がする。最初に作った長編映画というだけでなく、移民の人たちと一緒に長い旅を経験したし、長期間に渡ってこの題材にのめり込んでいたっていうことも含めてね」。

ギャングとして列車に乗り込むも、少女を暴行しようとしたリーダーを殺してしまい、組織から追われることになる少年・ウィリーを演じたエドガー・フローレスは映画初出演。
「(エドガーにとっては)辛かったと思うよ。国を離れるのも初めてなら、飛行機も初めてだし、こんな責任がのしかかってくるのも初めてだった。まだ若いし、子供みたいな19歳で、時々キレたりしたので、プロデューサーや僕がエドガーのトレイラーに行って、一緒に腰を降ろしていろいろ助言してやる必要があった。規律を教え込んだりね。すると、エドガーはちょっと泣いちゃったりしてね(笑)。彼はいろんなことで泣くんだ。熱血漢で熱いヤツだからね。ものすごく緊張していて…でも、心は優しい子なんだ」。

劇中、エドガー演じるウィリーと少女・セイラ(ポリーナ・ガイタン)が徐々に親密になっていくが…。
「うん、エドガーは実際にポリーナのことが好きだったんだと思うよ(笑)。それも助けになったんじゃないかな。2人とも、自分の役柄と共通点がいっぱいあって、それもまたリアリズムを与えていた。ポリーナは、セイラに似た経験をしているし、エドガーは路上生活がどういうものか知っている。2人が演じたことは、実際の経験からかけ離れたものではないんだ」。

さらに、監督の中に流れる日本の血、日系人としてのアイデンティティについても聞いてみた。
「(日系人のアイデンティティを)確かに感じるよ。僕の家族にはしきたりがあって、それはきっと日本的な古風なものなんだと思う。例えば、僕は新年を必ず家族と一緒に祝うんだ。ガレージで餅つきをしたり、てんぷらを揚げたりとかしてね。仏教的な行事もやっている。僕の祖母が最近亡くなったんだけど、仏教的な儀式が家の中ですぐに始まって、みんなが出席した。カリフォルニアでは、日系の家族の絆はとても強いんだ。それから、21歳のときに半年ほど日本で暮らしたことがあるんだ。北海道でスノーボーディングをするためにね。日本での暮らしはとても気に入ったんだけど、同時に、日本的とはどういうことなのか? という意味で、自分と日本で生まれ育った人たちとの違いを知った。アメリカ育ちの僕には全然分からない(苦笑)、たくさんのデリケートなルールがあるから。でも、文化的には、自分は何よりも、第一に日本人的であると思いたい。特にどんなことが、というのは分からないんだけど…苗字は日本人だよね?」

いつの日か日本で、もしくは日本についての映画を撮りたいか? と尋ねると「もちろん!」と即答してくれたフクナガ監督。その日を待ちつつ、まずは彼が切り取った移民の現実、そしてそこからすくい上げた“希望”に目を凝らしてほしい。

© 富岡秀次/Shu Tomioka

《シネマカフェ編集部》

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