【雅子BLOG】『クロワッサンで朝食を』
華やかなカンヌが終わり、盛り上がった夏場所も終わり、6月を目前にフランス映画祭の試写が始まりました。着々と季節は巡ります。
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エストニア人のアンヌは裕福な老婦人・フリーダの家政婦として、憧れのパリにやって来た。気難しいフリーダだったが、次第にアンヌに心を許していく。アンヌ自身もエストニア出身のパリに生きる女性だった――。
フランス映画好きはもちろんのこと、映画ファンでジャンヌ・モローの名を知らない人はいないだろう。かのヌーヴェル・ヴァーグの中心的ミューズであり、数々の偉大な監督と仕事をしてきたフランスを代表する大女優である。最近はあまり見かけないと思っていたら、等身大の姿を映画の中で見せてくれた。まさに貫禄のひと言。
高齢化が進む現代では、映画の題材として、介護問題、老人の孤独を描いたものは今後さらに増えるだろうと思う。リアリティを求める私たちは興味深く観察し、老いることの意味を考えさせられる。特に日本では、孤独死=不幸ということになり、それはもっとも恐れることであり、老人の自立についてはあまり描かれない社会情勢があるように思う。その点、フランスでは『愛、アムール』のように孤独さえも尊重され、家族に頼ることなく、むしろ愛の終末を恐れる風情だ。本作では、何よりも女であることの終わりがもっとも恐ろしいことであると、老女になったジャンヌ・モローは身を持って訴えるかのよう。フランス女らしく、女であることを貫き通す強さ、尊さ、執念である。
また、物語にあるような裕福だけど孤独な老人というのは、一度でもパリの生活を経験している人ならば実感できるはず。老人だからとくたびれない、生き生きと暮らし、シャネルを日常着に着るようなマダムが居る、と同時に移民の家政婦という存在。本作の主題であるエストニアなどの隣国からフランスに出稼ぎに行くケース。日本に居るとよく理解できない移民問題を始め、祖国を捨てた哀愁、アンヌの疎外感と解放感、パリへの羨望…。この映画は様々なことを教えてくれるのだ。
もちろん、この映画の素敵な見所はパリという存在であることは言うまでもない。裕福層が暮らす界隈の瀟洒なアパルトマンの趣味の良い室内(60年代のカーテンはサンローラン製!)、街角のカフェ、クロワッサン、エッフェル塔に凱旋門…、そしてマダムの着るシャネル。いつの時代でも色褪せることのないパリを意味するキーワードだ。可能性を試し、違う人生を夢見て希求し、人々が集まる花の都パリは、永遠なのです。
最後にちょっと…。本作の原題は『Une Estonienne a Paris(パリのエストニア人)』。邦題の『クロワッサンで朝食を』はちょっとオシャレ過ぎるかんじ。いかにも日本人が好きそうなタイトルだ。もっとも「エストニア」じゃ人は呼べないのかもしれない。確かに日本人はエストニアが何処なのかもよく分からない(だろうと思う)し、そもそもバルト三国をちゃんと言えない(だろうと思う)。あ、エストニアと言えばバルトがいるじゃないか。あ、バルトも相撲ファンじゃないと知らないか…。ともあれ、せめて件の「クロワッサン」は副題とかにして、シンプル且つ孤独感漂う原題のニュアンスを優先して欲しかったという個人的な言い分はあるにせよ、もちろん「クロワッサン」も「朝食」も、この映画の大切な骨子なんだけどね。そのワケは、どうぞ映画をご覧になってください。オトナの、いい映画でした。
《text:Masako》
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