【シネマモード】逆説的に追及される唯一無二のスタイルを…『トム・アット・ザ・ファーム』
アーティストにとって、個性とはアイデンティティの表出。それを反映させた“スタイル=表現様式”は、作品における要といえるでしょう…
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映像作家グザヴィエ・ドランは明らかに後者。自分を表現するというより、自分の中に湧き上がってくるものを、やり方にこだわらず追求していくタイプ。『マイ・マザー』『胸騒ぎの恋人』『わたしはロランス』と一作ごとに映画界を驚かせてきた才能の持ち主ですが、わずか監督4作目にして、前三作で描いてきた“かなわぬ愛”からあえて離れて、撮る方向性を変えることにしたのだといいます。
自らが主演して撮影された『トム・アット・ザ・ファーム』は、モントリオールの広告代理店で働く青年トムの物語。交通事故で死んだ元同僚で、恋人のギョームのお葬式に出席するため、ケベックにある彼の実家である農場に向かうのです。そこにいたのは、ギョームの母と暴力的な兄。2人と過ごすうち、トムは生前ギョームが同性愛者であることを母に隠していたことを知り、事実を知るホモフォビアの兄から母親にうそをつくことを強制されるのです。そして、恋人を救えなかった罪悪感を抱えていたトムは、同性愛に不寛容で暴力的な兄に支配されていくようになり、ストックホルム症候群に陥っていくのです。
ドラン監督といえば、スローモーションを多用した映像とポップミュージックの多様が特徴のひとつでしたが、今回はその“スタイル上の癖”を一掃する狙いを持って本作に挑んだといいます。都会と農村、広告代理店のコピーライターと農夫、ホモセクシュアルとホモフォビア、支配者と被支配者など、劇中に登場する明確な対比は、これまでのスタイルと新しいスタイルとの対比を暗示し、過去の自分との違いを意識しているかのよう。
おしゃれでスタイリッシュな作家というイメージを持ちながらも、今回はあえて、ノーブランドの家具や洋服を使い、ビジュアルではなく物語により観客の注意が向くようにしたとも言えそう。先の見えないサスペンス感や、不条理から生まれるホラー感により、派手な演出はないにもかかわらず、ドラマティックでリアルな臨場感にも溢れていて、これまでの作品以上に、“引き込まれ感”が増しているのです。
さらに、“リアル”についてもっと言うならば、今回はあえて洗練されていない醜悪でリアルな映像を追求したといいます。そう。そこを追求すればするほど、きれいごとではすまされないのがこの世。とはいえ、そのビジュアルセンスは隠しようもなく、どんな題材、どんな被写体を撮ろうとも、美しいのがドラン監督の凄いところ。洗練されていない醜悪でリアルな映像ですら、どこかグロテスクな美があるのです。
それにしても、なぜ、方向性を変える必要があったのでしょう。“かなわぬ愛”という、描きたかったテーマを描ききったという達成感があったのでしょうか。彼独自のリズムと繊細な感性で描かれるこの切ないテーマを、ファンとしてはまだまだ見続けたいという思いはあります。でも、同じスタイルを繰り返すことで、崇高な“愛”に手あかがついてしまうのを嫌ったのかもしれません。引き際というのは、いつも肝心なものですから。
作品にスタンプを押すかのように、自意識が知らないうちに、作品に「これは自分のものだ」と主張するような印を残してしまうのなら、常に進化を望むアーティストたちは、自分の印から離れたいと本能的に感じるのでしょうか。もしかすると、自らの“スタイル上の癖”を認識し、そこから離れようとすることで、より純粋な自分だけのスタイルを見出したいと思うのでしょうか。逆説的ではありますけれど。とにかく、新しい世界に踏み出したことで、より鮮明になったドラン監督の才能を体感できるのがこのサイコ・サスペンス。真の作家性を感じてみてください。
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