【シネマモード】“少年”から“大人”へ…変化の兆しを描く『WISH I WAS HERE』
夢を追い続ける男。なんだかかっこいい響きですね。少年のような心を忘れず、大人になってもやりたいことを諦めず、頑張り続けるなんて素敵…
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『WISH I WAS HERE/僕らのいる場所』の主人公エイダンはまさにそんな男。何年も前にフケ用シャンプーのCMに出演して以来無職。理解ある妻も、さすがにそろそろ現実を見てくれたらな…と思っています。子どもたちがユダヤ系私立学校に通っているのも、孫をユダヤ教徒に育てたい父親が安くない授業料を払ってくれているおかげ。ところが、ガンにかかってしまった父親から、新しい治療の費用がかさむため、もう授業料は払えないと告げられてしまうのです。そんな、いろいろな意味で一大事を迎えたエイダンは、いつまでも夢見がちな少年のままではいられないことに初めて気が付きます(遅すぎますが…)。そして、父を通して死に直面し、人生をリアルに感じ始め、これまで自分が避けてきた大人の役割について意識しはじめるのです。自分の周囲は勘違いだらけだったことにも。
一家のために水道局で楽しく働いていると思っていた妻サラが、実は同僚のセクハラでつらい思いをしていたこと。夢のない自分は支える側であるだけなのかと妻が疑問に感じていたこと。親の期待を一身に担いながらも、父と合わず家族と疎遠になったオタクの弟を、兄として何とかしなければならないということ、などなど。目覚めたエイダンは、果たして大人として、本当の意味で成長できるのでしょうか。そんなテーマで描かれる作品の中には、彼の子どもっぽい“今”を暗示するものがいっぱい。
例えば、荒れた自宅の庭。自由と無責任は紙一重ですが、家庭を築いたものの責任を持たないエイダンそのもの。人任せの生活費もそう。娘と息子とは仲は良いものの、その関係はまるで友達のようなのも。
子どもの進学費用にとお金を貯めている瓶の中には、彼が“汚い言葉”を口にしたために払わされた罰金が詰まっています。でも、大人に目覚めたエイダンは、それを使って子どもたちと共に、人生を感じ始める冒険に出るのです。まさに、変化の兆しということなのでしょう。
その変化を示すエピソードの中でも、私のお気に入りがウィッグの話。敬虔なユダヤ教信者で、ユダヤの伝統“シェイテル”(結婚したら、夫以外の男性を惹きつけないように髪をそって、一生ウィッグをつけて暮らすというもの)に憧れている娘とのやりとり。年頃の娘のように派手な服を着たがらず、地味な服を好む娘が、勝手な親に振り回されるのにイライラし、髪の毛を剃ってしまうのですが、彼女にウィッグを買ってあげるのです。それまでは、子どもに対してかなりいいかげんな行動を取り、妻に怒られたり、呆れられたりしてばかり。でも、ウィッグを娘に「好きなものを。うんと個性的なものをな」と自由に選ばせる行為は友人としてのそれではなく、親である自分が傷つけた娘の心を受け入れ、なんとかしたいと思ったことを感じさせます。娘は、かなり個性的なウィッグを選ぶのですが、子どもの自由な行動に責任を持ってやるのは親として当然のこと。そんな覚悟を、子どもに買ってあげるウィッグひとつに、感じさせているのです。
大人になれば、自由な行動には自分で責任を取らなければなりません。ならば、責任を持ちながらも、自分らしく生きるにはどうしたらいいのか。きっとそれが、彼が導き出す結論に表れているのでしょう。
目を閉じ、耳を塞いできたリアリティが、一気に体になだれ込んでくる時、自分自身に、そして人生にどんなことが起こるのか。意味ある人生を送ろうとしても、大人になったらもっと確信に満ちていると思っていたのに、まだまだ人生に確信が持てない大人にこそおすすめしたい作品です。
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