【MOVIEブログ】2015 コンペ作品紹介(2/5)
コンペ紹介の2回目、東欧と北欧編です。
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『家族の映画』(チェコ)
まずはチェコの『家族の映画』からスタート。チェコ映画がコンペに入るのは随分久しぶりのはずです。オルモ・オメルズ監督は旧ユーゴ圏の出身で、チェコの映画大学を卒業しています。この監督にも驚かされます。
作品は、タイトル通りの、家族の物語。しかし、家族を描く作品は世にたくさんあれども、この作品は本当にユニークです。そして、何がそんなにユニークなのかは、んー、書けない…。現代の家庭が抱えるもろさや、あやうさを、新しい角度から描いたもの、とまずは言っておきます。
プラハで暮らす裕福な家族。両親は、高校生の娘と中学生の息子に留守番をさせ、ヨット旅行に出かける。子どもたちはここぞとばかりに羽を伸ばし、それぞれの友人を家に誘ったりして、当然のように遊び始める。なるほど、ブルジョワ姉弟の無軌道な青春ものかな、と思わせる導入部です。弟が姉の友人と怪しい雰囲気になり始め、その友人のキャラクターが不思議だったりして、この導入だけでも十分に観客を映画に引きこむ力を持っています。しかし、その後、映画は思わぬ方向に向かっていきます。
どこか透明感がある、不思議な清潔感のある映像が、シャープで美しい。これは冒頭からそう思わされます。そして、脚本が上手い。物語に引きこまれる。転調が上手く、大胆な省略や、ジャンプがとても効果的。物語の面白さで観客を引きこんで、こちらの予想を少しずつはずしていき、そして全く意外な感動を用意している。前半と後半でまるで違う2本の映画を見ているような気分になり、しかしまぎれもない1本の「家族の映画」になっている鮮やかさ。いやはや、監督の才気に驚くこと必至です。
ある意味、チェコや東欧という地域性に縛られない作品であり、ユニバーサルな広がりを持ちうる作品です。なんといっても、家族の映画なのだから、地球上の誰もが感情移入できる。しかしだからこそ平凡になりうるリスクも負っているわけで、そこを承知で堂々と「Family Film」というタイトルで切り込んでくるところに、大胆なのか皮肉なのか自信なのか、オメルズ監督の非凡なセンスが伺えます。
オメルズ監督は過去に、新婚旅行で危機を迎える夫婦の物語や、思わず大人の世界を体験してしまう少年たちの物語を作品にしており、普通の人々に訪れる突然の転機を描くことに長けているようです。が、今作を見てしまうと、いったい今後どのような作品を作っていくのか、全く予想が付きません。だからこそ、これから本当に目が離せない。オルモ・オメルズ監督、要チェックです。
『地雷と少年系』(デンマーク)
続いて、北欧。デンマークの『地雷と少年兵』という作品です。これはストレートなドラマで、直球感動系、と呼んでいいと思います。
二次大戦終戦直後、デンマークの海岸線にはドイツ軍によって埋められた膨大な数の地雷が残っており、その撤去作業に元ナチ兵の捕虜が動員される。しかし動員された兵士たちは、戦闘も知らない少年兵であり、無慈悲に作業を命令するはずの指揮官の心は徐々に乱れていく。ナチ兵が自分たちで埋めた地雷で吹っ飛ぶのは自業自得ではないかとの感情が当たり前のように支配する中で、人に良心は存在しうるのだろうか…。
これは、かなりストレートに心に刺さります。青く輝く平和な海と、地雷撤去作業の残酷さとのギャップ。あるいは、母国を蹂躙したナチ兵への憎しみと、彼らが無垢な少年たちであることのギャップ。複数の対立項を並べながら進行していく物語に、直ちに心をわしづかみにされます。
マーチン・サンフリト監督は脚本家としてキャリアを積んでおり、既にデンマークでは注目される存在になっています。監督作品としては、『Applause』(09)でアルコール依存症から立ち直って子どもたちを取り戻そうと必死になる(がうまくいかない)女優の姿をリアリズムで描き、主演のパピカ・スティーンにカルロヴィヴァリ映画祭主演女優賞をもたらしています。あるいは、脚本で参加した『Teddy Bear』(12)という作品が僕は好きなのですが、女性に奥手なボディービルダーの青年がフィリピンに嫁を見つけに行くという物語で、巨体で小心というギャップを上手く突いた作品でした。つまり、物語の構築力と丁寧な心理描写力に長けた実力派、ということがサンフリト監督について言えると思います。
『地雷と少年兵』はフィクションではありますが、史実をもとにしています。実際にデンマーク沿岸に埋められた地雷の数は2百万個にものぼり、数百人がその撤去作業で命を落としたと言われています。入念に事実を調べ、脚本執筆に3年をかけたというだけあり、映画はリアルな怖さに満ちています。少年兵役の俳優たちに、他の映画で色のついていない全くの新人を起用したのも、監督のリアリズム追求の一環でしょう。しかし、物語を推進する力は傑出しており、リアリズムとフィクショナルな部分のバランスもとてもいい。
いや、もうこんな小理屈はどうでもいいです。とにかく、何も考えずに見て、心を揺さぶられてもらいたい。実はつい数時間前、上映素材のチェック試写で本作を初めてスクリーンで見てきました。2度目の鑑賞にも関わらず、緊張と感動で呆然となり、あらかじめ書いていたこの紹介文の下書きを全部消去しようかと思ったほどです。
『家族の映画』は意外性、『地雷と少年兵』は直球、いずれも心を撃ち抜かれます。
『ルクリ』(エストニア)
さて、一転します。というのも、毎年コンペの中にアート色が強く難解なものを1本は選んでしまいます(そしてそれでお叱りを受けたりもします)。劇場公開が難しいかもしれないタフな作品が見られることが映画祭の醍醐味だと信じていますし、そういう作品が臆せず入っているコンペであってほしい。とまあ、そこまで深く考えているわけでもないのですが、とにかく今年のコンペで最も「とんがった」作品が、『ルクリ』であります。
バルト三国を北欧と呼んでもいいのかな、『ルクリ』はエストニアの作品です。人里離れた場所で、数名の男女が自給自足の生活をしていて、どうやら何かから避難している。作家や、画家などのアーティストの小さなコミュニティーである様子で、様々な議論を繰り広げている。すると、突然戦闘機の爆音が辺りを切り裂き、彼らはおののく。地域が戦争の予感で覆われる…。
はっきりした状況は明確には提示されません。見る者の解釈に委ねる部分を多く含んだ作品です。しかし、奥底に漂うメッセージの断片は確実に感じることが出来る。それは、ろうそくの炎のみの照明のもとで夜に交わされる会話を通じてであり、想像力に満ちた映像を通じてであり、そして魂に直に訴えてくるような音響を通じてでもあります。不穏な現代の空気を一種の寓話に込めてくる。その意味では、日本映画の『さようなら』(後日記述)と、どこかで共鳴する作品かもしれません。
コンペの各作品にキャッチコピーを考えねばならず、僕は思わず勢いで「忍び寄る終末の序曲を奏でる映像詩」というわけのわからない(ごめんなさい)キャッチを書いてしまったのですが、校正の段階でも変える気になれず、そのまま使ってしまいました。意外に世界観を伝えられているかもしれません。刺激的な作品をお求めの貴兄に、是非お勧めしたい。
ただ、硬派な作品を入れたいということが先にあったわけではなく、ヴェイコ・オウンプー監督の新作を追っていたらやはり硬派だった、というのが選定の経緯です。ヴェイコ・オウンプー、エストニアのみならず、ヨーロッパ全体でも注目すべきアーティストのひとりだと思っています。『聖トニの誘惑』(10)で衝撃を受けた人も多いでしょう。同作をロッテルダム映画祭で見てびっくりした僕は、同年の東京国際映画祭の「ワールドシネマ」部門で上映しましたが、一部でかなりの反響を呼びました。そう、あの聖トニの監督です。
シュールで不条理でスタイリッシュなブラック・ユーモア、というのが『聖トニ』の受け止められ方でしたが、その延長線上にはありつつ、ブラック・ユーモアは後退し、洗練度は増しています。こう言うと実もフタもないですが、カッコいい。いささか中毒性がある映像と音響で、見終わった瞬間に最初からもう一度見たくなる。後半の一連のシークエンスが放つ刺激は、滅多に経験できる種類のものではありません。
ウェブ等の本作の解説文に、僕は「現代社会を覆うペシミズムとニヒリズムを越えた先の光景を見ようとする大胆な試み」と書きましたが、これは僕が自分で感じたことから懸命に絞り出した一滴で、見る人によって感想は全く違うかもしれません。いったい「ルクリ」とは何か。一緒に探りましょう。
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