【シネマモード】ありたい自分でいるために…『海よりもまだ深く』
昔はキラキラしていたはずなのに、時が経ち、気づくとまるで輝きを失っている。そんなものってありますよね。
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ドレス、バッグ、靴などなど。ファッションアイテムは、“流行”という時代のムードや人の気分によって、色褪せてしまうものの代表格。必ずしもそれそのものが古びたり、汚れたり、使えなくなったりしているわけではなくても。華々しさが強ければ強いほど、そういう運命にあるのでしょう。
もっと大きな話をするならば、団地もそんな存在のひとつかもしれません。高度経済成長期に最新設備を伴って建設された団地は、近代集合住宅の象徴として庶民の憧れでした。ところが、現在はかつての華々しさや、誇らしげな様子はすっかり消え去り、漂うのは侘しさばかり。もちろん住宅の場合は、老朽化、住民の高齢化という問題もあるわけですが、それよりも何よりも、“団地”が持つイメージや言葉の響き自体が古びてしまって、とてつもないレトロ感、昭和感を醸し出していて、当初発していたイメージとは全く違うものになってしまっています(それはそれで、ひとつの魅力と感じる人もいるようですが)。
映画『海よりもまだ深く』の舞台となった東京都清瀬市にある旭が丘団地もまさにそんな団地。是枝裕和監督が9歳から28歳まで実際に住んでいたところで、映画撮影のきっかけを、「自分の記憶の中にある団地の表情をちゃんと残しておきたかった」と話しています。思うに、この団地が象徴しているのは、子どもの頃、きらきらした未来への可能性を抱えていたのに、自分が思い描いていた輝かしい大人になれなかった者たち。監督曰く「なりたいものになれなかったのは団地も同じなんですよね」。
もしかすると、監督は28歳でそこを出て、世界的に評価される映画監督として華々しい功績を手にしているけれど、団地に沁み込んだ自分の、そして人々の、さらには時代の記憶を敏感に感じ取れるからこそ、人々の感情に寄り添った素晴らしい表現が可能なのかもしれません。
誰だって若き日には、本作の主人公である良多のように、希望に満ち溢れていたはず。
良多は、一度文学賞を受賞してしまったがために作家であり続けることにしがみついています。そして、そのこだわりが自分も周囲も息苦しくしているのです。未来が想像していたものと違うからと言って、不幸なわけではないはずなのに。ならば、やるせない思いを抱き続ける人と、今手にできるものの中からちゃんと幸せを見つけられる人とでは、いったいどこが違うのでしょう。それは、自分の意志に反し、または不満を持ちながらもいつか輝きが戻ってくると信じながら団地に住み続けることと、そこに未来はないと感じたり、時代の空気を感じたりした時点で団地を出て、外からそこを見つめられることとの違いに、どこか似ているのかもしれません。
主人公は、台風のせいで、今も母が暮らす実家の団地で別れた妻と子とともに一夜を過ごすことになりますが、この台風というモチーフがまた人生を語るうえでいいモチーフになっています。暴風雨はさまざまな被害をもたらしますが、そのパワーでいろいろなものを吹き飛ばし、洗い流します。ある場所からどうしても動けないときには、こんなパワーが背中を押してくれることになるのかも。そして、居座り続けていた何かを破壊することで、潔い諦めをもたらし、新たな一歩を踏み出す覚悟をきめさせてくれることもあるでしょう。
「幸せって、何かを諦めなきゃ手に入らないのよ」
母が良多に言うこのひとことが、とても印象深く心に残ります。これは、決して後ろ向きな発言ではありません。もしそれが「違う」と感じたなら、手放す勇気も持たなければ。
人生は選択の連続。ありたい自分でいるために、最も大切なものを選びとることの大切さを教えてくれる映画です。
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