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【MOVIEブログ】イラン・ファジル映画祭日記(中)

<4月24日(月)>

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<4月24日(月)>

24日、月曜日。6時にすっきりと起床。朝食をたくさん頂いてから、映画祭の上映が午前中は無いので、部屋でしばらくパソコンを叩く。10時半にホテルを出て映画祭会場へ。

今日はイラン映画のマーケット上映をハシゴする日にしようと決めていた。11時15分からスタート。

1本目は『Privacy』という作品。大人の男女を巡る愛憎の心理ドラで、楽しいはずの誕生日パーティーが嫉妬渦巻く悲劇へと発展していく。これも女性の不義に対する男性側の異常なまでの非寛容性を告発する内容で、浮気の疑いのある相手は殺しても構わないとするメンタリティーが恐ろしい。映画の構成に難はあるが、まずまず。

続いて12時45分から『Abajan』。イラン映画を見ていると、通りに面した鉄の扉を開けると四角い中庭があり、その庭を囲む三方の住居に親族が暮らしているという場面に遭遇することが多く、本作もそんなそんな住居を舞台にした一種の家族宇宙を背景にしたドラマだ。たくさん人がいるので、誰が誰なのかなかなか分からないのが前半はつらいのだけど、イラン映画の昨今のパターンをなぞることができて面白い。ファタメ・モタメダリアさんが熱演。

次は14時半から『21 Days Later』。都会のいたいけ少年もの。魅力的な瞬間はあるものの、展開にメリハリがなく、映画のトーンが一本調子で物語の軸が見えず、散漫に進行していく印象を受ける。残念。

続いて16時10分から『High Noon』。これは2月のイラン映画に特化した映画祭(かつては2月の映画祭がファジル映画祭と呼ばれていたのだが、2年前から国際映画祭が4月に分離してファジル映画祭となり、2月の映画祭はイラン映画に特化するようになった)で受賞したとのことで楽しみにしていた作品だ。

80年代初頭の反政府運動や爆弾テロと戦う捜査当局の奮闘を描く作品で、なんといっても見どころはそのスタイル。フィルム撮影のドキュメンタリータッチを駆使し、あたかも当時の作品であるかの手触り感がとてもリアルで、ニュース映像かと見まがうときもあるほどだ。全体的にとても見応えがあり、エンタメとしてもアートとしても成立する稀有な作品で今年のイラン映画を代表する1本であるかもしれないという印象は受ける。しかし、ちょっとだけ冷静に考えてみると、80年代初頭の反政府運動とは、つまり反イラン革命運動であったはずで、その反乱分子を苦労の末に追い詰める展開はエンタメとしてカタルシスがあるけれど、現体制のプロパガンダであるとの見方もできるはずだ。なので、諸手を挙げて本作を誉めるどうかは一瞬ペンディングにしておくことにしたい。

18時10分から『Untaken Paths』。タフミネ・ミラニ監督は検閲を恐れない反骨の映画作家だ。本作でも極端なDVの犠牲となるヒロインの姿を通じ、現在のイラン男性社会のあまりにも酷い保守性を告発する。ヒロインは実家でも嫁ぎ先でも極端な抑圧を受ける。婚前に男性と会話をした程度で兄に殴られかねず、結婚式で叔父と親しく話したことで夫は初夜から不機嫌になり、新婚の妻は激しく殴打される。しかし彼女に選択肢はほとんどない。果たして未来はあるのか…。映画のルックが明るいというか、テレビのソープドラマのような見え方もするのが逆に個性になっている。とてもしんどい内容なだけに、その明るいルックが見るものの心を何とか支えていると言ったらいいか。女性映画が一大潮流となっているように見えるいまのイラン映画において、本作はその中心となる1本だろう。

20時10分から『Poets of Life』。カスピ海近くの土地で稲作を行う女性を描くドキュメンタリー作品。その女性はフランスの大学で文学を専攻したのちにイランに戻って農業を始めた人物で、その自然に対する真摯な姿勢が見どころであるだけでなく、彼女は女性農業労働者の地位向上を訴える活動家でもあり、そして詩人でもある。美しい四季の農家の映像も、個性的で魅力的なヒロインの人物像も、実に見応えがある。ああ、イランのドキュメンタリーも片っ端から見たい。

21時30分から『Yeva』。これはかなりクラシックでオーソドックスなスタイルのドラマで、夫殺しの濡れ衣を着せられた女性が幼い娘を連れて山奥の村に身分を隠して住み着くが…、という物語。ルックはクラシックだけど、ここも理不尽に虐げられる女性の姿が描かれる。映画自体はさほど面白い出来ではないものの、ここまで女性映画が続くとその底流を読み解きたくなって興味は尽きない。

上映終わって23時。午前11時からという遅いスタートでも7本見られるように試写を組んでもらえているのはとてもありがたい。ほとんど入れ替え時間のない上映スケジュールの組み方は日本ではなかなかあり得ないけれど、見ている立場としては効率的で嬉しい。充実した疲労感を味わいながらホテルに戻り、即ダウン。

<4月25日(火)>
25日、火曜日。6時30起床で朝食頂き、少しパソコン叩いてから9時にホテルのロビーに下りる。本日は映画祭が主催する「シネマ・シティー・映画スタジオ見学ツアー」があるのだ。ファジル映画祭が招聘している外国映画人全員を対象にした企画のようで、これは是非とも参加せねばなるまい。

ホテル前のバスに乗り、揺られることほぼ1時間。降ろされた目の前に広大な映画スタジオが待ち構えていた。撮影用セットが並んでおり、最初はイラン革命前のアメリカ文化の影響を多く吸い込んでいた時代のイランの街並みが出迎えてくれる。ご丁寧に当時の衣装を着た人々がパフォーマーというかエキストラで参加していて、目の前では馬が闊歩していたり、欧米式の洋服に身を包んだご婦人方が歩いていたり、脱走兵が警官に逮捕されたり、とても手が込んでいる。

都会の大通りのセットを30分くらい経験したあと、移動を促され、百人をゆうに超える外国人ゲストは強い陽射しの中をぞろぞろと隣の敷地に移動する。すると時代が遡り、近代や中世のセットが次々と現れ、我々はイランの歴史を旅することになるのだ。最終的には古代の大広場に到着し、そこで全員で記念の集合写真を撮って、サンドイッチのランチが提供される、という全体で2時間に及び大プログラムだった。

イランのスタジオを見学すること自体も楽しいのだけど、実はこのツアーが交流の場になっているようで、ゆっくりといろんな場所を見ているうちに回りの人と話すようになるし、僕もミュンヘンやロカルノやマルデルプラタやバングラデシュやそのほか多くの映画祭関係者にここで出会ったり、話したりする機会ができた。そういう意味でもとても有意義だ。夜にお酒を飲むパーティーがない分、こういう場を設けて演出するというのはなかなか素晴らしい。

13時にツアーは終わり、バンに乗って映画祭会場へ。

会場で知り合いのイラン人女性プロデューサーにばったり会ったので、彼女に同行していた男性のジャーナリストも交え、最近のイラン映画の傾向などについてゆっくり話をしてみる。最近の顕著な傾向は、どなり合いに近い激しい口論の連続がドラマを引っ張っていくという映画の作り方で、そこに家族の問題が絡んでいくのがひとつのパターンとなっている。

僕はもはやこれはひとつの新しいジャンルであると理解して楽しんでいるのだけど、中には「イラン映画から景色が失われてしまった」と嘆く人もいるのは確かで、その気持ちも分かる。ファルハディ以降の傾向ですよねと話したところ、ジャーナリスト曰く「いまのイランの観客は映画の中に激しい口論が出てこないと納得しないんです。確かにファルハディの影響はありますが、彼以前にもこの傾向はあったんですよ。キアロスタミの処女作は見ましたか? 口論だらけです。でもキアロスタミは処女作が好きではなかったみたいですね(笑)」。なるほど!

2人に別れを告げて、マーケット試写でイラン映画を2本見る。ツアーもいいのだけど、やはり上映がどうしても気になってしまう。

14時50分から『Mothering』という作品。恋愛にときめくヒロインと、画家で離婚調停中の姉、そしてふたりを育ててくれた叔母の3人の女性の物語。どうも映画の軸が定まらず、なかなか集中できない。しかしこれまた女性映画であることに興味がそそられる。

続いて16時25分から『Villa Dwellers』。イラン・イラク戦争時、郊外に避難した女性たちが暮らすコミュニティーがあって、それぞれの事情を抱えた女性たちが戦地に赴いた夫の帰還を待ち望んでいる。ベーシックな反戦映画で悲嘆場にも事欠かない内容はいささか平板ではあるものの、女性たちの姿は魅力に描かれている。

しかしそれにしても、ここ2日半で見た12本中9本が抑圧された女性の姿を描くものであり、ここまで来るともはや偶然ではありえない。これはいったいどういうことか?

検閲がある中で女性差別は扱いやすくなったのか、女性問題に社会批判の役割を仮託しているのか、はたまた映画マーケット主催者が外国の映画人に見せたくて今回恣意的に選んだのか、それとも本当にブームなのか、そのブームはもしかしたら単に男性客が女優を見たいという結局は男の欲望を反映しているだけなのかもしれないのか、もしそうだとしたらことごとく男が嫌悪すべき絶対的な悪役に設定されているのは倒錯的な状況であり、逆に男性が女性に対して映画を罪滅ぼしに利用していたらどうしよう…、などなど、考え始めるとキリがない。イランと女性映画についてシンポジウムを組んでみたいものだ。

ところで、現在のところ至極快適なイランだけれど、ひとつマイナス面を挙げるとしたら、上映中にみんなスマホを使いまくることだ! 僕は日本であれは必ずやめてくれと声をかけるのだけど、100%アウェーのテヘランではまだその度胸が無い。もう、左右と前でスマホの画面が光り続け、本当にうんざりする。セリフの多いイラン映画の英語字幕を追う必死の集中力が削がれてしまう。ああ、これは何とかしてほしい。

逆に、イラン人の親切さというか、ホスピタリティー魂はすごい。フードコートでイラン料理コーナーに並んでいると、普通に「メニューの解説しましょうか?」とお客さんが話しかけてくる。本日は上述の上映が終わってから日本人チームに合流して、10人ほどの人数で一緒に行動することになったのだけど、ボランティアの青年が爽やかな笑顔を浮かべながら雨の中、タクシーを3台並べて止めてくれる。カオティックなテヘラン交通状況下でこれは簡単なことではない!

そしてみんなで大きなスーパーに行き、買い物を終えて外に出ると、先ほどの雨が雷鳴轟く豪雨へと進化してしまった。するとスーパーの係員の男性が普通にタクシーを呼んでくれる。映画祭と全く関係無い人でもこの対応なのだ。イラン人の自然な親切心には心底感動する。

さてそのスーパーでは物珍しくて、買い物カゴに色々と放り込んでしまい、全く値段が分からないのでレジでヒヤヒヤしていたら、手持ちの3百60万リヤルをほぼ使いきってしまった。9千円くらいかな? いかん、買い過ぎた。

ちなみに、イランでクレジットカードは使えない。アメリカの経済制裁策の一環らしい。本当かな。ともかく、現金を持ち歩く必要があり、物価水準も分かっていなければ値段の表記も読めないので、買い物でお金が足りるのか毎回ヒヤヒヤして大変だ。

この10名ほどの一行に加わって向かった先は、イランの女性脚本家の方のご自宅。イランと日本を映画で繋いで下さっているSさんのご友人で、夕食に招待して下さったのだ。出張先の地元の方の家にお邪魔する機会など滅多にないので、とても嬉しい。イランの美味しい家庭料理をたらふくご馳走になる。ああ、とてもおいしかったです。ありがとうございました!

《矢田部吉彦》

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