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【MOVIEブログ】イラン・ファジル映画祭日記(上)

いままでなかなか機会の訪れなかったイランのファジル映画祭に、今年は思い切って参加してみることにした。毎年のようにイラン映画を東京国際映画祭に招待しているし、いつかはこの中東の映画大国を訪れたいと思っていたところファジル映画祭側からお誘いを頂いた。

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いままでなかなか機会の訪れなかったイランのファジル映画祭に、今年は思い切って参加してみることにした。毎年のようにイラン映画を東京国際映画祭に招待しているし、いつかはこの中東の映画大国を訪れたいと思っていたところファジル映画祭側からお誘いを頂いた。

もちろん、トランプ政権発足に続くファルハディの渡米拒否が映画ニュースを賑わせるご時世だからこそ行ってみたいという気はあって、ちょうど4月の中旬ならば仕事上も大丈夫だろうと決心した。実は4月上旬開催のトルコのイスタンブール映画祭にも強い関心があったのだけど、信頼するトルコの映画人から「今年の映画祭は(大統領権限の強化をめぐる)国民投票の直前なので街がカオスになっている危険性があり、やめたほうがいい」と言われ、見送ることにした経緯がある(国民投票の結果は既報の通りで、トルコの監督たちのことを考えると胸が痛む)。イランも5月に大統領選があり、確実と目された穏健派のロウハニ大統領の再選がここに来て危ぶまれるなどの報道もあるけれど、国内が混乱しているという話は聞かないし、とにかく行けるときに行かないと。

というわけで、初イラン行きの準備。しかし、僕は仕事の進め方が異常なほど下手で、どうにも年初から時間が無くて仕方がない。ひたすら自分を呪っているうちにあっという間に4月中旬がやってきた。4月19日は(インディペンデント映画作家たちの勉強会的な組織である)「独立映画鍋」に招かれて深田晃司監督の司会のもと、東京フィルメックスの市山プロデューサーとトークをするという貴重な機会を頂いて終電まで盛り上がったり、20日は某官庁の方々と数ヶ月先のイベントの件で遅くまで話し込んだりで、まったくもって出張準備どころではない。

<4月21日(金)~22日(土)>
明けて21日、金曜日。6時に起きて洗濯してパッキングする。持っていく服を悩むけれど、シャツとジャケットさえあれば何とかなるだろう。スカーフや体を覆う服を持っていかねばならない女性に比べると格段に楽なはずで、申し訳ない気分になる。1週間用の中型トランクに荷物を詰めて、まずは職場へ。

荷物を引っ張って職場について9時。バタバタと案件を片付けていると、重要な忘れ物に気が付いた。ああ。パソコンのACアダプタを忘れた。なんでだ! 自宅の床に伸びているコードの光景が浮かぶ。トランクに詰めた記憶はない。嘆いてもどうしようもないので、ダッシュで自宅に帰って職場に戻って90分ロス。

怒涛のような午後を過ごし、同僚たちに多大の迷惑をかけながら、18時半に職場を出て成田へ。20時に着いて直ちにエミレーツ航空にチェックイン。すると仕事か観光かと聞いてくるので「仕事です」と答えると、イランからの招待状を提示してほしいと言われる。招待状はイラン入国時の空港で必須らしいのでもちろん持参していたけれど、成田でも聞かれるとは知らなかった。地上係員が招待状のプリントアウトを熟読し、さらに上司を呼んでふたりで検討を始めた。当然のことながら不安になる。一昨年、カイロ映画祭から招待を受けるも、パスポートの有効期限が足りないことから成田で飛行機に乗せてもらえずエジプト行きを断念させられた悪夢が頭をよぎる…。

結果は、セーフ。「観光」と言っていれば問題ないらしいのだけど、「仕事」と言うとチェックが厳しいらしい。んー、なるほど。分かったような、分からないような。

成田第2ターミナルは20時を過ぎると便が少なくなるのか、店も閉まり始めている。急いで円を米ドルとユーロに少しずつ両替する。イランの貨幣価値は分からないけど、200ドルあれば1週間は問題ないとも聞いている(ただしペルシャ絨毯を買わなければ!)。米ドルはあまり使う機会がないので、余っても構わないユーロを多めに替えておく。そういえば、イランへの入国記録があると、アメリカに行くときにビザが必要になって面倒になるらしい。まああまりアメリカには行かないから、構わないや。

搭乗時間が迫っている中、これだけは外せないとフードコートに行き、生ビールとカツカレーを拝みながら一気に頂く。ブタとアルコールというイスラム2大タブー(?)を摂取して、もはや思い残すことはありません。

22時発の便は30分遅れくらいで離陸。ドバイまでのフライトは約11時間。思い残すことはないと書いたものの、未練がましく機内でもビールを頂く。エミレーツ全体にアルコール無いのかなとも思っていたのだけど、さすがにそんなことはないのか。ただし、機内食のメニューには「ご提供する食事はすべてハラルです」と注記がある。つまりイスラム教的に問題の無い食事だという意味だ。それをビールとともに食するのは冒涜的行為だろうか? いや、こういうことを考えるとキリがないので、もう少し気楽に行こう。

機内では「New Girl」のシーズン6を見ながらグフグフと笑い、ズーイーやっぱり最高。少しうとうとと寝る。

ドバイに着いて、3時間近くトランジット待ち。空港内にコーランが流れている。午前4時半くらい。テヘラン行きの便の搭乗口まで広大な空港内を移動する。巨大エレベータで降りて、空港内電車に乗って、ひたすら歩いて…。移動に30分近くかかる。広い!

途中、トイレの個室に入り、出てきてしばらくしてから携帯を忘れたことに気付いた。うわっ、と思ってダッシュしてトイレに戻るとその個室は使用中になっている。半ば観念しながらドアを叩いて「携帯ありませんか」と聞くと「あるよー」と低い声がして、扉の下から携帯を渡してくれた。ああ、良き人でよかった。どうも最近忘れ物が多い。財布やカギなどを失くしたことは人生で一度もないというのが自慢だったのだけど、最近ちょっとおかしい。

自分を厳しく戒めていると、もうひとつ忘れ物を思い出した。せっかく2千円以上払って買った「地球の歩き方」を見事に自宅に忘れてきてしまった。普段の出張準備と無縁なものは忘れても全然思い出さないものだ。「地球の歩き方」は最初の数ぺージにある入国時の注意点みたいな箇所は読んでいたのでよかったけど、それでももったいなかったなあ。

午前7時半にテヘラン行きの便が離陸。機内で時計を合わせる。現在夏時間なので日本との時差は4時間半(冬時間だと5時間半)ある。イランの午前8時が、日本の12時半になる。この「半」の時差が新鮮で、1時間単位で時計を調整することはたくさんあっても、30分単位で変えることはなかなかない。小さいことがいちいち面白い。

はたしてテヘラン行きの便にもアルコールはあった。こう書くと何だか依存症みたいに聞こえちゃうけど(僕はお酒は好きだけど弱い)、やはり1週間禁酒が待っているかと思うと、ついつい名残惜しくなってしまう。朝食に赤ワインを付けてもらい、ちびちびと頂いてうとうとしていると、2時間ほどでテヘラン到着。日付は22日土曜日、午前11時。

ともに映画祭に向かう日本人で同じ便だったAさんとYさんにここで合流し、入国手続きに並ぶ。ここが難関で、何が何やら分からない。幸いにAさんがイラン経験者だったのでリードして下さって助かったのだけど、まずは最初に保険に入っているかどうかを確認させられる(最近できた手続きらしい)。その列にまず並んで、旅行保険の写しを見せると、渡航先がイランに特定されていないから本当はいけないらしいんだけど(Aさんたちは保険証の行き先がイランでなく「中東」であるため難色を示されたらしい。でも僕の保険では中東どころか「アジア」だ)、でも日本人3人まとめてオーケーになったらしい。

それからあっち行ったりこっち行ったりで、ビザ取得手数料を3人で190米ドル払い(なぜかひとりいくらと教えてくれないし、前後の人たちが異なる額を払っているようにも見える)、別の窓口で領収書や招待状などとともにパスポートを3人分提出し、待つこと約1時間。ようやく入国ビザが貼られたパスポートが戻される。入国できただけなのだけど不思議な達成感があって、やりましたね! と3人で喜んでしまうのが我ながらほほえましい。あとで聞くと、到着便が重なるときなどは3時間待たされることもざらにあるらしく、1時間は運がいいほうらしい。それはよかった!

映画祭側が手配してくれた車に乗るべく外に出ると、中東の太陽のもと、ごつごつした黄色い大地が広がっている。ここが砂漠地帯であることを思い出す。気温は多少暑い程度で、驚くほどではない。1時間ほど車でテヘランに向かう。段々と都会が近づいてくる。景色が徐々に変わってくることに興奮が高まる。いよいよテヘランに入り、多くの車に揉まれるようにしながら道をかき分けるように進んでいく。町は雑然としているところもあるけどやはり都会で、近年のイラン映画で見慣れた、まさにあのテヘランだ。13時半にホテル到着。

ホテルのロビーに映画祭のデスクが設置されていて、そこでパスなどを受け取ってから部屋に入り、Wi-fiのチェック。どうもうまくいかないけど、後回しにして、シャワーを浴びて休む間もなく外に出て、Aさんとともに映画祭会場へ向かう。ホテル前から出るミニバンのシャトルに乗ろうとすると、乗客席で運転手さんが昼寝をしている。いいな。係の人に起こしてもらって(さすがに自分から起こせなかった)、出発。ほんの10分程度で会場に到着。

立派な商業施設の上階層が映画祭とフィルム・マーケットの会場になっていて、現代的な西洋の商業モールとなんら変わらない。Aさんとしばらく会場を回っていると、すぐに今回の出張のアレンジをしてくださったSさん(イラン人の女性で日本語通訳として東京でも大変お世話になっている方で、日本とイランの映画業界で彼女を知らない人はいないくらいの大事な存在の方)に会うことができて、そのご一行に合流する。今回のファジル映画祭ではキアロスタミ監督追悼の上映やイベントが組まれていて、日本からは『ライク・サムワン・イン・ラブ』の堀越プロデューサーやキャメラマンの柳島さん、そして編集の横山さんたちがいらっしゃっている。ご挨拶しつつ、15時半からの追悼イベントにみなで向かう。

30分押しでスタートしたイベントは、世界各地の映画人から寄せられた映像コメントや、キアロスタミの貴重な映像を交えながら、来場の映画人が登壇してスピーチをする構成。序盤にいきなりヴィクトル・エリセ監督が登壇し感動する。まさかヴィクトル・エリセにテヘランで会えるとは想像すらしていなかった! アイスランドのフリドリック・ソーン・フリドリクソン監督(近年ではTIFFに『馬々と人間たち』のプロデューサーとして来日してくれた)や、アメリカの批評家、フランスの研究家など、世界中の映画人のキアロスタミに対する愛のこもったスピーチが続き、こちらも胸が熱くなる。「ひとつのシンプルなポテトからとても豪華な料理を作ることのできる芸術家、それがキアロスタミという監督です」というフリドリクソン監督が言い表しているように、シンプルな素材を深い芸術に昇華させることのできる天才であり、実験映画からナラティブ映画まであらゆるジャンルの垣根を超えた表現者であったキアロスタミの偉大さを改めて噛みしめ、2時間を満喫する。

そういえば、入場前のロビーで2人の男性が囲まれていて、誰かと思ったら…。『友だちのうちはどこ』の2人の男の子だった(写真参照)!

Aさんと会場のモール内のフードコートのイラン料理のコーナーで夕食をつまんでからホテルに戻り、パソコン開いてWi-fiの接続をチェックしてみる。接続できるサイトとできないサイトがあって面白い(いや、不便だけど)。グーグルとヤフーは大丈夫。Gmailを使っているのでグーグルがNGだったら面倒だなあと思っていたので、これはひと安心。基本的にSNSはダメで、フェイスブックとツイッターは接続できない(メッセンジャーは受信するけど返信は出来ない?)。携帯のLINEは大丈夫。意外なところでは映画データベースのimdbがダメ(実はこれが一番不便)。さらに映画ドットコムもダメで、不思議な基準だ。映画関係は厳しいのかな…。

23時近くなり、目がとても重くなる。いったいどこから始まった一日が終わろうとしているのか、もはや分からない。興奮を眠気が上回り、ベッドに倒れ込んでダウン。

<4月23日(日)>
23日、日曜日。イランの日曜日は平日と聞いているけど(金と土が休み)、確信がない。6時に目が覚めてしまい、朝食が何時からなのか確認し忘れたのでパソコンを少しいじって、8時半にレストランへ。

Aさんと朝食を食べていると、相席になったふたりの東アジア人の女性が日本語で話しているので挨拶してみると、広島でイラン映画祭を行っている方々だった。結構な数の日本人がファジルに来ているのだなあ、と改めて実感する。イラン料理の朝食をたらふく食べて(でも何を食べているのか分からないので解説できない)から、出かける準備をする。

ロビーでドルを現地通貨のリヤルに変えてもらおうとしたら、自宅の机の奥にしまってあった100ドル札が古いと受け付けてもらえなくてがっくり(ドル紙幣がいつ新しいデザインになったのか知らないけど、とにかく新しいドル札でないとダメらしい。旧札だってドルの価値は変わらないのになんでだろう)。今回のために替えてあった新ドル札もあったのでそれを出し、100ドルで3百60万リヤルなり。換算が難しい。

外に出てみると、少し暑くて、日本の6月くらいだろうか。ホテルから映画祭とマーケット会場まで地図を見ながら歩いてみる。20分くらい。「地球の歩き方」によれば、イランでは男性も肌の露出は控えた方がよくて、短パンはご法度。できればTシャツも避けた方がよくて、朝晩は冷えることもあるのでジャケットを持っていたほうがいいとのことだった。

僕はTシャツの上にジャケットを着て出てみて、果たしてどうだろうと行き行く人々を見てみると、んー、確かにTシャツ姿の人は少ないかもしれない。いないわけではないのだけど、襟付シャツにジャケットという姿が多い気は確かにする。女性は頭を覆うスカーフを外国人含め全員着用しているけれど、頭の後ろにひっかけているだけという人もいて、イスラム原理主義的な厳格さはテヘランにおいてはないようだ(頭からすっぽりと全身を覆う服装をまとっている人ももちろん見かけるけど少数派のよう)。ほんの20分の散歩で何が分かるのだという話だけれど、とにかくテヘランは大都会で、映画で見慣れているからかもしれないけど違和感はさほどない。

ところで、いまさらだけど「ファジル」映画祭はテヘランで行われている。最近までファジルという町で開催されているものだとばかり思っていたので、テヘランでファジルとはどういうことなのだろうと疑問を抱いていたのだけど、Sさんに尋ねてみると「ファジル」とはペルシャ語で「ヴィクトリー」を意味するのだそうな。もともと映画祭は2月に開催されていて、2月のイラン革命を記念して「勝利」を映画祭のタイトルに冠した経緯があるとのこと。なるほど。そのファジル映画祭は今年で35回目。立派な歴史を誇る映画祭だ。

車の数が多いので道を渡るときに注意が必要だけど、難なく会場に到着。前述のように現代的なモールなので、建物に一歩入るとそこは西洋と全く変わりがない。1階から3階に各種店舗が入っていて、4階が中東フィルム・マーケット会場、3階がフードコート、5階に5つの上映スクリーン、という会場構成。あらためて会場をぐるぐる見て回ったりしてから、12時の上映に行ってみる。

見たのは「Broken Olive Trees」という特集部門内の『The Black Flag』という作品で、イランの監督による2015年製作のドキュメンタリー。この「折れたオリーブの木」特集は、「Middle East in War」という副題がついており、つまりここ数年の中東の戦争状態を扱った作品を特集のようだ。イランに来てこういう特集が見られるのは嬉しい。テーマがテーマだけに嬉しいという言葉には語弊があるけれど、この特集を組んでいることだけでもファジル映画祭の重要性が伺えるというものだ。全ての作品を見たくなる。

イラク中央部に流れるユーフラテス川沿岸の町をISISから奪回すべく攻撃作戦を展開しているイラク軍に、イラン人監督が従軍し戦闘の模様を記録する。銃弾が飛び交い爆撃にさらされ、まさに死が目の前に迫ってくる様は圧巻である。監督が確実に死を覚悟した瞬間もある。笑顔でインタビューに答えた兵士が翌日に戦死する。町の奪還は成功し、映画は勝利を持って終わる。しかし、この作品は2年前のもので、その後の状況を考えると胸が痛む。そして自分の無知と無力と怠惰を呪い、映画の重要性を改めて噛みしめる。

13時半からマーケット会場を回って、イランの映画会社やカザフスタンの映画機関など4社とミーティング。最新イラン映画情報を貰ったり、新作のDVDを預かったりする。

フードコートで昼食をつまんでから、15時半からコンペ部門のイラン映画で『Negar』という作品へ。一般上映なので役者さんたちが登壇して賑やかに盛り上がり、映画祭の楽しい雰囲気を満喫する。やっぱりどこに行っても映画祭はいいなあ。

作品は、火サス的な事件ドラマにスピリチュアルな要素を加味したエンタメ系のジャンル映画で、大味ではあるのだけどイラン映画としては普段あまり日本で見られるタイプの作品ではないので、それなりに楽しい。父親の自殺の謎を追うヒロインが夢の中で父親の死の直前を追体験することで真相に迫るという内容で、こうやってまとめてみるとちょっと面白そうだけど、なんでもかんでも白昼夢で真相が分かってしまうのでちょっといかがなものかとも思わされる。しかし、最近のイラン映画は女性が主人公のものが極めて多い印象があり、本作のタフなヒロイン像を読み解くことは現在のイラン映画の理解につながる気もするので、油断は禁物だ。

上映終わり、日本の映画人のみなさんと合流すべく待ち合わせ場所に向かうと、イランの有名女優であるファタメ・モタメダリアさんに再会する。モタメダリアさんは2014年にアゼルバイジャン映画の『ナバット』で東京国際映画祭に来て頂いた縁もあって(フィルメックスにも数回来日されている)、とても嬉しい再会だ。今年のファジル映画祭では、コンペ部門の審査員を原田美枝子さんらとともに務めている。僕のことも覚えていて下さって、とても光栄。

日本のみなさんと夕食に行くはずだったのだけど、少し時間が中途半端になってしまったので近くのカフェ(というか水タバコの店? なんと呼べばいいのか)に行って、紅茶を頂く。水タバコを頼まなかったので店員さんは怪訝な顔をしていたけれど、中庭的なオープンスペースでテヘランの喫茶空間が体験できて楽しい。堀越プロデューサーの話に笑い転げているうちにあっという間に時間が過ぎて、会場に戻る。

20時からマーケット試写のイラン映画で『Sara & Aida』という作品へ。女性の受難を扱うイラン映画が目立つと前述したけれど、本作もその流れの1本と呼んでよいはずで、金銭トラブルと男性からの抑圧に苦しむヒロインと、明るく献身的な親友に訪れる不幸を描くドラマ。諦念とも解放とも敗北ともとれる表情のヒロインをバストショットで捉えるラストシーンが、昼に見た『Negar』のラストと完全にかぶることに驚く。

イランの映画検閲の基準に詳しいわけではないのだけど、性的描写は一切NGであることは明白で、女性の肌の露出はもちろん、体のラインを見せることすら一般公開の障害になるらしい。政府批判も難しいのだろうけれど、メタファーに置き換えて表現する監督は存在する。一方で女性に対して超保守的な社会を批判することは許されているようで、極端に高圧的な男性や、肉体的にも精神的にも激しい虐待を受ける女性の姿はひんぱんに描かれる。しかし数年前の東京で上映した、結婚前に処女であることを証明させられる事態を告発した作品はイランで公開の許可が下りないままであるとも聞いており、状況は当然ながら単純ではなさそうだ。社会と映画と表現手段に思いを巡らすにあたり、イラン映画ほど刺激的な映画もほかにそうそうない。イスラムの大国であって映画大国でもあるという国がほかにないこともあり(トルコを除くとして)、イラン映画に興味が尽きることはない。

会場からホテルに向かうシャトルバスに乗り、22時半に部屋につくも、とても眠くて本日も早々にダウン。

《矢田部吉彦》

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