正式名は「交響曲第9番ニ短調作品125」。第1~4楽章まで全てを演奏すると約60~80分。指揮者によってテンポが違うため、そのときどきによって違います。CDが作られたとき、開発社のソニーによって74分42秒と決められたのは、名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが「第九が1枚に収まった方がいい」と言ったからとも伝わっています(諸説あり)。
とはいえ、フルバージョンを聴いたことがない人も多いかもしれませんね。もっとも有名なのは第4楽章の合唱部分、「歓喜の歌」とされるところ。そこだけ聴いても素晴らしいですが、やはり「歓喜の歌」に到達するまでの“顛末”を知って聞く方が、素晴らしさを体感しやすいでしょう。第4楽章までに60分ほどかかりますが。
そんな大曲をバレエにして踊ってしまおうというプロジェクトがあったと聞いたときは驚きました。2014年には東京公演が実現し、その9カ月に及ぶリハーサル風景を追ったドキュメンタリーが『ダンシング・ベートーヴェン』です。

もちろん、クラシック音楽とバレエは長きにわたり密接な関係にあります。チャイコフスキー、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーらのバレエ音楽は有名ですが、ご存知の通り「第九」はバレエ音楽ではありません。それにバレエ界の鬼才モーリス・ベジャールが振り付け、初演にこぎつけたのは1964年のこと。以来、数回の公演しか実現せず、振り付けを行ったベジャールが死去した2007年からは、再演不可能とされてきました。それがなぜ東京で実現したかは本編を観ていただくとして、そんな大プロジェクトが実現していたとはつゆ知らず。見逃したことが悔やまれてなりません。もしあなたが同じ思いを抱いたなら、本作は年末年始の“Must-see”リストに加えるべきでしょう。

このドキュメンタリーを観ていると、この公演がどれほど難題だらけなのかがよくわかります。一流のダンサー80人余りをベストコンディションで本番に向かわせ、さらにオーケストラ、ソロ歌手、合唱団、指揮者を加えた総勢350人及ぶアーティストの心をひとつにすることが、どれほど奇跡に近いことか。そして、それが並大抵でないと承知しながらも、実現させようとする情熱の意味もよくわかります。圧倒的な“団結”が目の前に現れるのですから。それこそ、人類が手を取り合う理想的な世界を願うこの曲の魂なのです。
ベジャールは、すでに完璧であるこの曲を視覚化することで、「第九を」あえて違ったアートフォームに転換させ、多面的な豊かさを添えました。聞こえない人にも交響曲を楽しませ、聞こえる人にはより深く曲が持つ意味を考えさせる機会を与えてくれたのです。

その大きな助けとなっているのが衣装でしょう。ベジャールは4つの楽章に、「地」「火」「水」「風」と自然の中の4つのエレメントを象徴させました。そしてそれぞれの楽章に登場するダンサーたちに「褐色」「赤」「白」「黄」の衣装を身に着けさせたのです。さらにそれぞれは、4つの人種、4つの大陸をも意味し、最後に全てが一緒になり、手を取り合うのです。この様子は、違ったエレメントが調和することで、ひとつの世界が成り立っていることを瞬時に理解させてくれ、例え歌詞の原案であるフリードリヒ・フォン・シラーによる詩「歓喜によせて」の意味を知らなくても、「すべての人々は兄弟となる」というメッセージの本質を体感させてくれるのです。

振り付けを観ていて感じたのは、ベジャールには音が見えていたのではないかということ。彼が作り出した「第九」の動きはとても有機的で、クラシックバレエにおける「美」を追求した動きとは少し違います。物語を表現する「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」とは違う、とても野性的な動きです。これはモダン・バレエのジャンルに入るのかもしれませんが、とても原始的でパワフル。そこには理論よりも本能を感じるのです。それは、音に忠実な反応としての踊り。クラシックバレエよりもっと本能を感じさせるプリミティブな躍動をもって、「第九」は根源的な魅力の表現方法を新たに得たのかもしれません。
本作を観てこの名曲に興味を抱いたなら、この年末年始にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調作品125」をフルバージョンで聴いてみてください。人類最高傑作の新たなる魅力を見つかるはずですから。
