高畑勲監督、息子が語る“父”の素顔と思い出…亡くなる1か月前に公園で

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「高畑勲 お別れの会」東京・三鷹の森ジブリ美術館にて
「高畑勲 お別れの会」東京・三鷹の森ジブリ美術館にて 全 10 枚 拡大写真
今年4月5日に亡くなった高畑勲監督(享年82歳)を偲ぶ「高畑勲 お別れの会」が5月15日(火)、東京・三鷹の森ジブリ美術館で行われ、高畑監督の息子である高畑耕介氏が“父”の素顔と思い出を語った。

耕介氏によると、高畑監督は昨年4月に手術を受けて以来「発熱、せき、味覚障害に絶えず苦しんでいた」という。それでも今年の2月末まで講演会などに登壇しており、その忍耐力と精神力は「医者も驚くほど」だったのだとか。

そんな高畑監督は今年3月10日、耕介氏とともに近所の公園を散歩したそうで「芽吹き始めた木々、さえずる小鳥について、教えてくれたことを昨日のことのように思い出します」。3月末に入院した際には、「呼吸が苦しく、言葉を発することもできない状態となり、見守る私たち家族もつらい思い」だったといい、「人に話を聞いてもらうことが生きがいだった父にとってこそ、それはしんどく耐えがたいことだったと思います」とふり返った。

亡くなる1年前ほど前から、講演会や対談といった高畑監督の仕事に付き添うようになったという耕介氏。移動中は「体調は大丈夫だろうか」とヒヤヒヤする一方、いざ講演が始まると「話はいつも面白く、時間はあっという間に過ぎてしまいました」。それだけに、「映像作品以外の父の言葉や姿に触れて、もっと知りたいという思いが強くなったいま、父の声を聞くことがもうできない現実を前にすると、悔やみきれず、胸が詰まる思いです」としみじみ語っていた。

「既成概念に囚われることなく、何よりも自身の感覚、直感によって物事を捉え、言葉や表現に変えていきました。対象の全体像を捉えるために必要なことは何でも調べる貪欲さ、理想に近づきたいという往生際の悪さ、一種の感覚的、また即物的な視点と切り口によって、当たり前のように感じることも、日常をも再発見させられる父なりの物の見方は、いつも私を惹きつけました」。

「古今東西の文物に美を見出し、そこにあるトリックや魔法を見つけることが楽しみで、父は何か発見があると、嬉々としてそれを語ってくれました。現実への冷徹で客観的なまなざし、共同体から世界まで、社会は少しずつ良くすることができるはずという期待、不器用で間違いだらけの人間の肯定というものを、何気ない会話からも感じさせるので、自然に私もそのように考えるようになりました。ある種の捉えがたいものに光をあて、言語化する。明確な答えはないけれども、大事な何かをそのまま問いかけ、考えさせるというのが父のスタイルだったと思います」。

最後に耕介氏は「純粋な好奇心と、日ごろの勉強から得た発見や着想を、実験的なやりかたを交えて、各分野の才能豊かな仲間たちと表現し続けることができた。父は本当に幸せな人間だったと思います」と語り、「父が望むものは、人間が人それぞれの個性と、育てられた社会的、文化的背景をお互いに理解し、尊重する。そして、それらは活かし、助け合い、譲り合って、小さいものや弱いものも安心して、暮らしていける世の中だと思います」と締めくくった。

《text:cinemacafe.net》

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