物語の舞台はインドネシアの最西端に位置する港街バンダ・アチェ(アチェ州の州都)。2004年のスマトラ島沖大震災で津波による壊滅的な被害を受けながらも復興を遂げつつある街です。
深田監督がこの映画をバンダ・アチェで作るきっかけとなったのは、2011年東日本大震災の後に京都大学とアチェのシアクアラ大学が共同で開催した「津波と防災に関するシンポジウム」の撮影を依頼され、アチェを訪れたことだったそうです。
映画のなかでも震災について触れてはいますが、震災を描いた映画というよりも、インドネシアで生きる若者たちが、ある日、海からやって来た正体不明の男ラウ(ディーン・フジオカ)と出会い、一緒に過ごした日々を描いたファンタジーであり青春群像劇。
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海で発見されたその男は記憶喪失と診断され、インドネシア語で「海」を意味するラウと名づけられます。身元が分かるまでNPO法人で災害復興の仕事する貴子(鶴田真由)の家に滞在することに。彼女の息子タカシ(太賀)、親戚のサチコ(阿部純子)、タカシの同級生のクリスと彼の幼なじみイルマ。彼らの周りで不可思議な現象が起こります。
考えさせてくれる映画だというのは、ラウが一体何者なのかがはっきりと描かれていないので、どう捉えるか、どう解釈するかによって、いろいろな見方ができる。いろいろな見方の先にある自分なりの答えを見つけたくなるわけです。
ラウは不思議な力を持っていて、神様のようにも見える、自然の一部のようにも見える、つかみどころのないキャラクターですが、もしかするとそういうことが起こりえるのかもしれない…と、妙に受け入れてしまう力がある。

それはラウ役のディーン・フジオカの演技力、彼のミステリアスさを受け止める周りのキャラクーを演じる俳優たちの演技力、そこにリアリティがあるというのはもちろんですが、物語の舞台であるバンダ・アチェという街の力も大きい。
ラストシーンはとても美しくファンタジックな海が映し出されますが、考えれば考えるほど、その美しさの向こう側に何があるのか、ラウは何者だったのか、人が自然のなかで生きるとは……次から次へと思考が広がっていく。だからなおのこと行ってみたいと思うわけです。バンダ・アチェに行くことで、ラウが現れた海を目にすることで、自分が何を感じるのかを確かめるためにも──。(text:Rie Shintani)