【MOVIEブログ】2018マラケシュ映画祭日記(上)
東京国際映画祭が終わって早や1か月。永遠に時差ぼけが治らないような日々が続き、どうにもぐったりしっぱなし。そろそろしっかりしないと…。
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<11月30日>
11月30日、木曜日。朝から荷造り。初めてのモロッコ、昼は20度近くて夜は10度程度という話なので持参する服に迷う。タキシードも必要のようだし、色々と考えているうちにとても時間がかかってしまった。いつもパッキングなんてあっという間に終わるのに。
重くなってしまったトランクを引きずって、まずは職場へ。昼から20時半まで仕事してから羽田に向かう。23時55分のパリ行きの便、満席だ。
パリに到着したのが(30日の)午前4時半。それから午前9時の便に乗って、マラケシュ空港到着が昼の12時半。羽田からパリまで12時間半、空港の乗り継ぎで4時間半待ち、そこからマラケシュまで3時間半のフライト。全て順調でよかったけど、なかなか遠いな!
空港から映画祭が用意してくれた車に数人で分乗して20分ほど走る。赤茶色の四角い建物が、早くもモロッコ的でどきどきする。
ホテルに到着。ここはどういう場所なのだろう。映画祭のセレモニー会場となる大コンベンション・ホールに複数の巨大なホテルが隣接している区画のようで、周囲はバリケードで仕切られて常時警備員が出入をチェックしている。どうやら映画祭のレッド・カーペットの警備体制がすでに敷かれていて、その対象地域内にホテルもあるということらしい。それにしても、市内でも郊外でも無いような不思議な場所だ。マラケシュのどの辺なのかが全然分からない。
それはあとで確認するとして、なかなかにでかいホテルにチェックイン。館内が迷う作りになっているのは、世界一の迷路と呼ばれるらしい旧市街の町「スーク」に因んでいるのだろうか?
ともかく眠いので、ベッドに倒れ込んで2時間ほど仮眠を取る。
18時にシャワーを浴びてタキシードに着替え、ホテルの隣のコンベンション・ホールへ。すぐ隣で、徒歩で行けるのがありがたい。コンベンション・ホールはとても立派な建物で、その中に映画祭のメイン会場となる「Salle des Ministres(大臣ルーム)」があり、千人規模の豪華な劇場だ。
ところで、映画祭の公用語はどうやらフランス語のようで、セレモニーもフランス語とアラビア語で進行する。英語の同通が文字で電光掲示板に流れているようだけれど、遠くて小さくて全然見えないので重視されていないことが分かる。
むしろ、話者はフランス語でもアラビア語でも英語でも構わない、という感じかな。それぞれに丁寧に通訳が入るということはなく、セレモニーとしては通訳に時間をかけずにスムーズな進行が優先され、まあみんな大体分かるでしょう、という感じ。国際都市ならではのルーズさがちょうどいい。
オープニング・セレモニーは豪華&シンプルを旨としており、王室や政府関係筋や映画祭主催者の挨拶は一切なく、基本的にはMCによる審査員の紹介のみ。しかしそのメンバーが豪華なのと、彼らを並ばせる舞台上のセットが豪華であるために十分に華やかさが演出できている。
僕は出発前にマラケシュ映画祭のホームページを見て審査員の顔ぶれにびっくりしたのだけど、この通り:審査員長にアメリカのジェームズ・グレイ監督、ドイツ俳優ダニエル・ブリュール、仏監督ローラン・カンテ、インド女優イリアナ・デクルーズ、メキシコ監督ミシェル・フランコ、英監督のタラ・ハディッド、レバノン監督のジョアナ・ハッジトマス、米女優のダコタ・ジョンソン、そして英監督のリン・ラムジー。これはすごい。
マラケシュ映画祭は今年が17回目となるのだけれど、体制の見直しを図って昨年は開催を見送り、今年が満を持しての2年振りの開催となる。新たなアーティスティック・ディレクター(作品選定責任者)に、元ベルリン映画祭フォーラム部門のクリストフ・テルヘヒテ氏が抜擢され、マラケシュ映画祭の新たな姿に注目が集まっていたのだ。そして僕はクリストフさんと少し知り合いなので、時期もちょうどいいことから、今回訪問した次第。
ということで、新スタートということもあってゲストの豪華さにもかなり力を入れているのだろうと想像できるとはいえ、それにしてもすごいメンバーだ。審査員に加え、オマージュ企画やマスタークラスにも世界的大物が名を連ねている。開幕1週間前になっても公式サイトにコンペ作品ラインアップが紹介されないのでヤキモキしたけれど、この豪華なゲスト陣を前にしたらそれがどうしたくらいの話だ。
マラケシュ映画祭のコンペティションは長編2本目までの新人監督コンペで、全14本。日本からは甲斐さやか監督の『赤い雪』が参加している。セレモニーではこれらの作品が短いクリップで紹介され、そして審査員が登場する。蓮の葉をモチーフにしたような円形のお立ち台が前後にいくつも連なり、審査員は呼ばれるとステージ裏から現れてひとりずつ別のお立ち台に立ち、最後に審査員長のジェームズ・グレイが中央に位置して配置完了。なかなか斬新な演出だ。
ジェームズ・グレイが映画祭の開幕を祝福し、審査員が全員ひとりずつ自国語で開幕宣言を行い、映画祭がスタート。まさにシンプルかつゴージャス。
セレモニーに続くオープニング作品は、ジュリアン・シュナーベル監督新作『At Eternity’s Gate』。ヴァン・ゴッホの晩年の日々を描く作品で、ゴッホに扮するのはウィレム・デフォー。残念ながらデフォーは欠席だったものの、シュナーベル監督や共演のヴァンサン・ペレーズらが登壇し舞台挨拶を行う。
作品は斬新な映像美と印象的な音楽、さらにはゴッホの特徴的な黄色を再現する美学が冴える個性的な秀作で、僕はとても好感を持ったのだけど、押し寄せる眠気に抗えず、数か所で落ちてしまった。日本からの深夜便に不慣れであることが露呈してしまった。情けない。日本で公開されたら絶対に再見する。
上映後にはオープニング・パーティーがあり、招待客はコンベンション・ホールから車に乗って別会場に移動することになっているらしい。だけれど、促されるままに会場を出ると目の前にはアニエス・ヴァルダやJRやロバート・パティンソンやキアラ・マストロヤンニなどがいて、オレはどう考えてもこの集団と一緒のはずがないなとその場を離れ、するともはやどの車にどう乗ればいいのか分からず、なんとなくボケっとしているうちにどんどん眠くなってきてしまい、まあいいや、という気になってパーティーはやめてしまった。
そのままホテルに戻り、ダウン。
<12月1日>
1日、土曜日。4時半に目が覚めてしまい、23時に寝たからとはいえもう少し眠りたかった…。どうにも再び寝られそうもないので、持参していたスポーツ・ドキュメンタリー本「勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇」を読み続ける。ともかくべらぼうに面白く、頭の中が実際の試合の記憶や、その舞台裏を想像する映像でいっぱいになる。抜群のページターナーだ。
7時にベッドから起き上がり、シャワーを浴びて朝食へ。オムレツが美味しくてパンを食べ過ぎた…。一瞬外に出ると、とても冷えている。白い息が出るくらいで、晩秋の高原のような空気。
部屋に戻ってまた本の続きを読む。こんな余裕は東京国際映画祭直後だからあるのであって、映画祭前の出張だったら空き時間があれば応募作品をオンラインで見ているところだ。幸せ。
10時になり、せっかくだからと自分を鼓舞して散歩に出かける。午前中には映画祭の上映も組まれていない。僕はとても出不精で観光にも興味が薄く、本当はホテルの部屋で本を読んでいた方が幸せなのだけど、いくらなんでももったいない。
ホテルはどうやら旧市街の西の区域に位置しているようで、まずはともかくマラケシュといえばここ、と呼ばれる「ジャマ・エル・フナ広場」まで行ってみることにする。
マラケシュの中心である広場は夜になると大変な盛り上がりを見せる場所とのことで、露天商が連なったり、蛇使い芸人がいたりと大変な賑わいだそうだ。ホテルから40分ほど歩いて到着すると、なるほど雰囲気のある広場で活気がある。とはいえ、なんせまだ土曜日の午前中なので、なんとなく祭りの後というか「準備中」モードというかで、本番はこれからという感じ。蛇使い芸人はいたけれど、かつて母がマラケシュに来たときにぼんやりと蛇使いを眺めて立ち去ろうとしたら背後から「このやろう金払え!」とどなられて怖かったというエピソードと聞いていたので、なるべく近寄らないようにしてぶらぶらと歩く。
気温がぐんぐんと上がって、ジャケット脱いでカーディガン脱いで、最後はTシャツ1枚。朝は10度を下回っていたはずで、なるほどこれが北アフリカの気候か!
2時間半ほど散歩してからホテルに戻り、建物内のカフェでサンドイッチを食べる。スパイスの効いたチキンサンドでなかなか美味。
14時近くになったので、コンベンション・ホールに出かける。昨夜のオープニング・セレモニーと同じ建物内の別のホールで、「Conversation With」と銘打ったマスタークラス的トーク・イベントが連日企画されているのだ。そしてそのメンバーというのがすごい。カンヌ映画祭のティエリー・フレモー、マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロ、ギレルモ・デル・トロ、アニエス・ヴァルダ、クリスチャン・ムンジウ、そしてエジプトのユスリ・ナスララ監督。
審査員もそうだけど、一体どうやってこんなメンバーを集めることができるのだろうと驚くばかりだ。人脈と予算が2大要素だろうけど、それにしても豪華だ。ちょっとほかの映画祭では経験がない。
マスタークラスの1回目となる本日は、カンヌの実質トップであるティエリー・フレモー氏。カンヌの作品選定の仕組みや考え方などについて語り、僕もおそれながら同業の端くれなので得心の行く話ばかりだ。だからこそもう少し突っ込んで聞いてみたい箇所があったのだけれど、観客にはあまり関係ない質問になりそうなので手を挙げるのは自重する。客席から若者たちが積極的に質問するので雰囲気がとてもいい。何という貴重な機会だろう。ああ、2年前に東京に来てもらった時に同様のマスタークラスをやりたかった…。しかしそれにしてもティエリーさん、よく喋る!
フレモー氏のトークが終わり、16時から上映へ。「モロッコ・パノラマ」というモロッコ映画の新作を特集する部門があり、7本が組まれている。あまりモロッコ映画をたくさん見ることが出来ていない身としてはとてもありがたい部門だ。
見たのは『Volubilis』という作品で、モロッコ出身のファウジ・ベンサイディ監督は俳優として有名でフランス映画でも姿をよく見かける。今作はショッピング・モール警備員の男が裕福な女性客に無礼を働き、その後訪れる報いと悲劇を描く内容で、低所得者層と富裕層の格差を痛烈に批判するドラマだ。サイレント調の演出があったり、映像のタッチを場面ごとに変えたり、工夫を凝らした個性的な作品で面白い。
18時にホテルに戻り、タキシードに着替えて、メイン会場へ。今宵はロバート・デ・ニーロの功績を称えるセレモニーが行われるのだ。
昨日に引き続いてレッド・カーペットに続々と映画人がやってくる。会場内のスクリーンに映し出される来場者を眺めていると、ローレンス・フィッシュバーン、ジル・ルルーシュ、メラニー・ティエリーなどの有名俳優に加え、コンペの豪華審査員も全員来場している。そしてマーティン・スコセッシも登場。続いてデ・ニーロ到着し、カーペット上でスコセッシとデ・ニーロのツーショット。これはやはり興奮せずにはいられない。
そしてセレモニー開始。改めてスコセッシが登壇し、まずはベルナルド・ベルトルッチに対して追悼の意を述べる。なにせ、まだほんの数日前の出来事だ。巨匠がまたひとり去ってしまった悲しみを思い出し、祝福モードの会場が一瞬しんみりする。
気を取り直すようにスコセッシは本題に入り、16歳の時からの知り合いであるデ・ニーロの功績を祝福し、信頼という言葉でふたりは結びついていると語る。それからデ・ニーロのキャリアの抜粋映像が上映されたのだけれど、これが素晴らしい内容だった。長さが15分以上に及び、「激しい(役)」や「優しい」などのカテゴリーに分かれて『ミーン・ストリート』『タクシードライバー』『グッドフェローズ』『ゴッドファーザー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『レイジング・ブル』『ディア・ハンター』『キング・オブ・コメディ』『アンタッチャブル』『1900年』『ジャッキー・ブラウン』『ヒート』『アナライズ・ミー』などなどなどなど、比類無きフィルモグラフィーから印象的な場面が次から次へと繋がれ、もう圧巻のひとことだ。
割れるようなスタンディング・オベーションに迎えられてデ・ニーロが登壇。感謝の言葉に続き、映画祭の大切さに言及する。911後にデ・ニーロが提唱者となってニューヨークでスタートしたトライベッカ映画祭と同じ年にマラケシュ国際映画祭もスタートした縁に触れ、「『インターナショナル』という言葉が肝です。自分の国はいま『ナショナル』な価値を重視する酷い時期を過ごしていますが、文化芸術は国境を越えてインターナショナルであり続けるのです」と言い放ち、再び場内は総立ちの大歓声になる。自分の功績はさておき、現状と未来についてきっちりと発言をする。アメリカ映画人の矜持が込められた迫力の瞬間だった。とても、とても感動的なセレモニーだ。1時間以内にまとめるコンパクトな演出も洗練されていて素晴らしい。
ホールの外に出て、同じコンベンション・センター内の別スペースで行われるディナーに場所を移動する。日本を発つ数日前、マラケシュ映画祭の担当者から「ロイヤル・ディナー」なるものへの出欠を聞かれた。ロイヤル?と驚きながら「出席します」と返事をしたものの、かなりビビってしまう。どうやらドレスコードはオープニング・セレモニーよりこのディナーの方が上だ(僕は両日ともにタキシードで通したけど、女性はイブニング・ドレスとロング・ドレスの違いがあった。ロング・ドレスのほうが格上?)。
ともかくムーレイ・ラシッド王子が主催のディナーということで、僕の人生史上「王室ディナー」に出席することなど後にも先にもないだろう…。
50卓ほどの円形テーブルがずらりと並び、ひとテーブルに10人座っているから500人くらいなのかな。ともかく大ディナー。しばらく待ってから、全員起立し、王子をお迎えする。王子はそのままスコセッシや審査員たちのテーブルに座った模様。僕の席からはよく見えなかったけれど、デ・ニーロはいないかな。デル・トロ監督がなんとなく退屈そうに座っているのは良く見えて、かわいい。
僕の座ったテーブルには映画祭関係者が数人いて、心の底から安堵する。知り合いのほとんどいないディナーほど憂鬱なものはない(しかも外国で)。今日も実は逃げ出したいような気分で挑んだのだけど、隣に座ったチュニジアの監督が猛烈にナイスな男性で話しやすく、あっという間に打ち解けてとても幸せな時間となった!
食事をサーブするペースが速く、鶏肉やら羊肉やらクスクスやら、次から次へと大皿をテーブルの中央にドーンと置いては、各人の皿に取り分けてくれるのはいいのだけど、あっという間に下げられてしまい、次の大皿がやってくる。なんだかとても目まぐるしくて忙しく、あまりゆっくり味わっているという感じではなかったのが残念。まあ、こういうのは味わう場と言うよりも、交流の場だからいいのだろうけど。雰囲気を味わえただけで十分だ。
2時間強でお開きとなり、僕も引き上げる。帰り際にアニエス・ヴァルダ監督が目の前にいたので、こんばんはと声をかけてみると、こんばんはと返してくれて、嬉しい。
ホテルに戻って即就寝。
<12月2日>
6時に目覚めたので、ベッドの中で読書する。甲子園のノンフィクション本を読み終えたので、次に「映画『夜と霧』とホロコースト」(みすず書房)を読み始める。
7時半に起き上って朝食へ行き、部屋に戻ってまた読書の続き。
11時から映画を見に行くことにして、コンペの『Diane』へ。アメリカのケント・ジョーンズ監督の長編2作目だ。ジョーンズ監督は監督作こそ2本目だけれど、脚本家としての映画業界歴は長く、何よりもマーティン・スコセッシ監督の右腕的ブレーンとして知られる存在だ。今作にもスコセッシがエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている。
上映前に舞台挨拶があり、映画祭ディレクターのクリストフさんがまず登壇して「英語での進行をお許しください」と前置きすると会場の一部からブーイング。やっぱりモロッコは英語よりフランス語なのだということが良くわかる。続いて登壇したジョーンズ監督はフランス語と英語のチャンポンで話し、英語の場合はクリストフさんがそれを仏語に訳し、それをアラビア語に訳す男性もいるのだけど段取りがあまり出来てなくて、なんとなくめちゃくちゃになっていったのだけど、それがちょっと微笑ましくて楽しい。まあ、雰囲気が伝わればいいじゃないか、という大らかさがある。
『Diane』は、アル中の息子の世話に走り回り、末期ガンの従妹を見舞って悲しみに耐え、自らは1人で暮らす中年女性のしんどい日々をある種の軽快さをもって描く秀作で、主演のメアリー・ケイ・プレイスが出色の演技を見せている。あらゆるシーンの演技が素晴らしい。そしてエンディングが物議を醸すだろうな…。
さて上映が終わり、14時からマーティン・スコセッシのマスタークラス「Conversation with Martin Scorsese」があるので、これは混むだろうと早めに行ってみると案の定長蛇の列が出来ている。早い者勝ちの自由席で、僕は関係者パスで入れるものの入場列はみんな一緒なのでもみくちゃになりながらも何とか中に入り、席を確保してやれやれと安堵。
さすがスコセッシ、350人ほどの会場が開演30分前には満席になる。それでも入場は続き、通路に人が座り始める。シネコンと指定席が主流になったいまではなくなったけど、ほんの少し前まで東京でも普通に見られた光景だ。
そして、驚くべきは観客の半分以上が20代以下と思しき若者たちで埋まっているということ。学生向けのイベントと謳っているわけでは無いのに、この割合は異常だ。日本でスコセッシのマスタークラスやったら若い人は間違いなく数名だ。いや、日本に限った話じゃ無いだろう。モロッコやチュニジアの映画界が活気付き始めていると昨夜チュニジアの監督から聞いたけど、映画の未来は北アフリカにあるかもしれない!
ついに通路は客で埋まってアナウンスで注意が入り、カメラマンが観客の視界を塞いで文句を言われ、かなり場内が騒然としてくる。
そしていよいよスコセッシ監督登壇、客席はもちろんスタンディング・オベーションでお迎え。
こういう時は立ってお迎えしたいもので、それで思い出すのが数年前のフランス映画祭。カトリーヌ・ドヌーヴが来日し、セレモニーで登壇した時に客席で見ていた僕は「これは立つでしょう」とスタンディングしたら、立ったのは僕ひとりだった。ここで座っては男がすたると、我慢してひとりスタンディング・オベーションを決行したのだけど、あの時の失望は忘れられない。後日、会場にいた映画業界の大先輩から「やっぱりあそこは普通は立つよね。ヤタベさん見てそう思いましたよ」と言われて少し報われたけど…。ともかく、スタオベ、なかなか日本には定着しないな。
閑話休題。
マスタークラスの進行は、モロッコ出身のファウジ・ベンサイディ監督とライラ・マラクシ監督。彼らがスコセッシに質問する形で進み、まずは幼少期に影響を受けた映画を尋ねる。スコセッシによくぞその質問ができるな!とトークの司会をすることも少なくない僕はドキリとする。スコセッシならそれだけで一晩中話すだろうから!
「かなり話を限定しますね」と前置きした上でスコセッシは40年代後半から50年代のハリウッド映画と、当時イタリア人コミュニティ向けのテレビ放送があったらしく、父親が買ったテレビでイタリア映画を見て刺激を受けた話を披露してくれる。
そして…。とこのまま紹介し続けるとウルトラ長文になってしまうので、マスタークラスのスコセッシの発言の内容は別途改めてブログにまとめることにしよう。
充実のトークにとても満足して、16時から上映へ。「モロッコ・パノラマ」部門で『We Could Be Heroes』というドキュメンタリー作品を見る。2012年ロンドンと16年リオのパラリンピックで2大会連続金メダルを達成した男子砲丸投げのアッズディーン・ヌウェイリ選手の日々を追った内容で、カナダのHot Docs映画祭で受賞している作品だ。
障害者として収入を得るためにはパラリンピックで勝つしかないという状況があり、しかし正規のスタジアムは利用させてもらえず、困難な環境下でトレーニングに励む選手たちには感情移入せずにいられない。
そしてこの作品が並みのスポーツ・ドキュメンタリーに終わらないのは、モロッコ政治を批判する社会的な側面にある。ロンドンで金メダルに輝いたとき、政府はヌウェイリ選手に収入を約束したが、その後何の手続きもなされない。ヌウェイリ選手は申請を続けるものの埒が明かず、ついにはほかの選手たちとスポーツ省の前で座り込み運動を開始する。そしてリオで連覇を成し遂げ、ヒーローとして帰国しながらも状況は変わらない。やむなく座り込みを再開したところで警察に連行されてしまい、国の威信をかけて戦ったにもかかわらず、国に裏切られる事態となってしまう。そしていまでもヌウェイリ選手の戦いは続いている、という字幕で映画は終了する。
僕はモロッコの表現の自由について無知であり、作品内の政府批判がどのくらい許されているのか分からないのが悔やまれる。というのも、エンド・クレジットに入った瞬間に大きな拍手が巻き起こり、スタンディング・オベーションとなったのだ。ゲストがいないのに、映画に対してスタンディング・オベーションが起きた。僕はこんな経験は初めてだ。これがモロッコ映画として勇気ある描写に対する観客の反応なのか、それとも純粋に金メダリストの闘いに対する称賛なのか、どちらかは分からないけれど、いずれにしてもモロッコ観客の心を打ったことは間違いない。
こういう瞬間に立ち会うために映画祭に通っているのだとつくづく思う。観光に出かけて歴史的なモニュメントを見るよりも、地元の人と映画の関係に僕は興奮する。映画祭通いはやめられない。
続けて、「スペシャル・スクリーニング」部門でエジプトのアフマド・アブダッラー監督新作の『EXT Night』という作品を見る。アブダッラー監督は『マイクロフォン』(10)が高く評価されたエジプト期待の存在。本作は学歴のある青年映画監督と彼を乗せる中年男のタクシードライバー、そこに加わる娼婦風の女性の3人が繰り広げる社会派コメディードラマで、少しクリシェはあるものの、エジプトの検閲問題に触れるなど、ここでも見逃せないエピソードが散りばめられて興味は尽きない。
21時に上映終わり、21時半から次の上映を見ようか迷うものの、眠くなってしまったのでホテルに戻る。カンヌ出張などでは考えられない行動だけど、無理をする時期ではないし、やはり気が緩んでいるのかな…。
部屋でパソコン叩き、ベッドで本を読んでいるうちにすぐに落ちる(たぶん23時半くらい)。
(マラケシュ日記「下」につづく!)
《矢田部吉彦》
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