エロティシズムと青春が共存する世界観
“身体の言い分”とは、本作でも原作でも作品のテーマの一つとして描かれていることだ。人間という動物の本性とも言える行為を背徳感なく素直に受け入れ、己の欲望のままに行為を重ねていく。その姿はエロティックというよりも、徐々に食事や睡眠といった、より動物的本能に近い行動のように見えてくる。

「原作の小説だと賢治が40歳くらいで直子が30代半ばくらい。明らかに僕らが演じるには若いんですよね。ただ原作通りの年代で映像にしたらもっとディープでどろどろした感じになっていたと思うんです。原作は男と女がある一つの何かを超えて、一周回って子供に戻って素直になるというイメージでした。原作よりも若い僕らがやることで、ある種の抜けの良さみたいな、青春性みたいなものが増したのかな、という気がします」

そう話す柄本さんが最も「賢治らしい」と思ったというのが冒頭、賢治と直子の再会直後のシーンだ。
「最初に直子が『ピアスどうしたの?』と言うと『なんとなく』、『その頭は?』『なんとなく』って。『何か悪さでもしたんじゃないの?』と言われて、『自分の自由にできるのが髪の毛だけってのも悲しいよな』って。このセリフが印象に残っているんですよね。賢治という人間を表しているなと思ったんです。“ああ、コイツは髪の毛しか自由にできないと思ってるんだ”って(笑)。それくらい覇気がないのか、って。このときの賢治の精神状態が分かるなぁと思ったんですよね」

そんなダメ男・賢治を丸ごと包み込み、グイッと引っ張る直子。本作には最初から最後まで賢治と直子の2人しか登場しない。
「撮影前は本読みで一回、劇中にある西馬音内(にしもない)盆踊りの実景撮影で一回、次に写真の撮影で会って。2日かけて写真撮影した後、1か月くらい空いてから映画の撮影が始まったんです。いま考えるとそのスケジュールが良かったなと思います。恋人だった二人が別れて再会するという賢治と直子の関係性に近い感じがして。写真撮影のときも、映画の撮影のときも、瀧内さんがドーンと男前にいてくださって、その男前さに助けていただいた部分は大きいですよね。もうやらなきゃしょうがない、終わらないからって(笑)」

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