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【MOVIEブログ】2019東京国際映画祭コンペ部門作品紹介(3/3)

東京国際映画祭コンペ部門作品紹介、第3弾です。

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『ジャスト6.5』
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東京国際映画祭コンペ部門作品紹介、第3弾です。

■『ジャスト6.5』(イラン)


まずは中東、イランです。『ジャスト6.5』。今年はイラン映画の当たり年で、紹介したい作品が多かったのですが、結果コンペに1本と、「アジアの未来」部門に2本、という布陣となりました。「未来」部門に入った『50人の宣誓』も強烈に面白いので後日ブログでも紹介したいのですが、『ジャスト6.5』はもう凄すぎてどうやって書くべきか迷ってしまいます。

『ジャスト6.5』『ジャスト6.5』
ずばり、イラン版ドラッグ・ウォー。警察対ドラッグ組織の娯楽大作です。冒頭(タイトル前のシークエンスで早くも度肝を抜かれる)からエンディングまで、ド迫力の横綱級作品。こんなイラン映画、ちょっと見たことない。娯楽大作だけれども、単純に商業映画とも言い難い。作家性がダダ洩れしている。

警察がドラッグ組織を追い詰めて行く物語で、小物ドラッグディーラーから徐々に上の大物へとターゲットを辿っていくプロセスが大胆に、スピーディーに、意外性ふんだんに、壮絶な迫力を伴って描かれていきます。ジャンキーたちの暮らす地域、留置所の中、運び屋の姿、取り調べ、全てが規格外。

ファルハディ以降、激しいセリフの応酬で家族のドラマを紡ぐ作品がイランで増え、東京のコンペでもその系譜の作品を紹介してきましたが、本作のサイード・ルスタイ監督も処女長編の前作『Life And A Day』(’16)で究極的にやかましい会話を用いて崩壊する家族を描きました。残念ながら招待するには至りませんでしたが、この迫力は到底無視できない、と僕は当時の鑑賞ノートに書き残しています。その迫力をさらに数段スケールアップさせ、2作目でこんな大作を完成させたとは、まだ30歳のこの監督は末恐ろしいです。

特徴的な甲高い声で指揮を執り、容疑者を激しく尋問する部長刑事役に、アカデミー賞外国語映画賞受賞の『別離』(’11)のペイマン・マアディ(同作でベルリン映画祭俳優賞受賞)。いまやイランで最も有名な俳優のひとりと言っても過言でないかもしれません。『レディ・ソルジャー』(’14)ではクリステン・スチュワートと共演していますね。監督作品『Bomb: A Love Story』(’18)も高い評価を受け、脚本家及び演出家としても非凡な才能を発揮しました。しかし本作では苦闘を重ねる部長刑事が完全に乗り移っています。

対するギャングの親玉に、ナヴィド・モハマザデ。彼は近年急激に頭角を現している存在です。僕もここ数年のイラン映画で最高の1本だと思っている『No Date No Signature』(’17)に主演し、罪の意識に苦しむ医師を見事に演じてヴェネチアの主演男優賞を受賞、一躍トップ俳優に躍り出ました。本作ではふてぶてしく苦境を脱しようとするギャング姿が抜群にはまっています。

ベルリン映画祭受賞俳優 VS ヴェネチア映画祭受賞俳優。人気と実力を兼ね備えたスター俳優の激突! これはもうたまりません。映画祭上映日には在東京のイラン人観客が詰めかけてくれるでしょうか? 楽しみ!

■『湖上のリンゴ』(トルコ)


中東からもう1本、トルコの『湖上のリンゴ』。こちらは一転して、静謐な美しさに満ちた、落ち着いた作品です。レイス・チェリッキ監督は初期作品が福岡国際映画祭で日本に紹介され、TIFFではベルリン映画祭に出品されて受賞も果たした『沈黙の夜』(’12)を「アジアの風」部門に招待し、見事に最優秀アジア映画賞を受賞しています。

本作は7年振りの新作となり、まだ製作周辺の情報がほとんど無いのですが、現代的な室内劇だった『沈黙の夜』とは異なり、絶景ショットで幕を開け、自然の中で進行する物語であり、かなり趣きは変化しています(もっとも、以前からスタイルを変える作家ではありましたが)。

『湖上のリンゴ』『湖上のリンゴ』
辺境の村で、伝統的な弦楽器の名人になるべく、師匠のもとで修業をしている少年が主人公。様々な行事で演奏を依頼される師匠の付き人として少年もしばしば遠出をし、やがて少し気になっている少女から、旅のお土産にリンゴをちょうだいな、と言われる…。

心が澄んでくるような物語です。チェリッキ監督は、少し現実離れした、寓話というかおとぎ話のような形で少年の物語を紡ぎます。舞台は、古くからの迷信(墓の上にうっかり小便をしたら大変なことになる)や、大事な言い伝え(葬儀の際の供え物に関するしきたり)、あるいは芸能の世界の師匠と弟子のような、伝承文化が根付いている場所として描かれます。実在するどこかの土地の文化にも見える一方で、もはやこんな土地が本当にあるとも思えないような、幻想的な気分にもなります。これはとても不思議な感覚です。

61年生のチェリッキ監督は、ジャーナリストの世界に長く身を置いたのちに映像製作に転じ、数百本のCMを作り、そしてドキュメンタリー映画も多く手がけ、さらにはもともと音楽の教育も受けていたということで、実に多様なキャリアと経験をフル導入して本作に取り組んでいるように感じられます。

少年の成長物語が核にはなりますが、彼をとりまく環境、つまり辺境の地の見事な山河、そして伝統楽器の美麗な音色、これら自然や文化のかけがえの無さ、大切さ、そして美しさが心に染み入る作品です。

■『マニャニータ』(フィリピン)


東アジアに移り、フィリピンで『マニャニータ』。今年もフィリピン映画は豊作でしたが、その中でも抜きん出ていた本作をコンペに招待することに、一瞬の躊躇もありませんでした。

「凄腕女性スナイパーの心の闇」と映画祭ガイド用にコピーを書きましたが、もうこの一文以上の内容紹介は必要ないくらいです。射撃競技出身の女性がスナイパーとして従軍しているが、顔の半分を覆うケロイドの症状を理由に除隊となり、連夜バーで無為な時間を過ごす。やがて1本の電話が彼女の運命を変える…、という物語。

『マニャニータ』『マニャニータ』
開幕直後の緊迫感溢れるシーンですぐに映画に引き込まれ、これはすごいと唸ります。そして、その期待は意外な形で裏切られます。彼女が過ごす無為な時間が淡々と、ゆっくりと、流れて行く。彼女が抱える心の闇の正体は何なのか。物語の進行は、とてもゆったりとしています。しかし何故か、全く画面から目をそらすことができないし、一瞬たりとも飽きることがないどころか、こちらの集中力は研ぎ澄まされていくばかり。これはいったいどういうことだ?

スタッフ陣を見て行くと、なるほど、と思わされます。ポール・ソリアーノ監督は本作が長編7本目。TIFFでは国民的英雄マニー・パッキャオの少年時代を描いた『キッド・クラフ~少年パッキャオ』(’15)を上映していますが、その後はエンタメなラブストーリーを手がけるなど、商業からアートまで多彩なタイプを手がけ、確実にキャリアを積み上げています。そしてどちらかといえばメジャー路線かと思わせつつ、今回は彼が持つ別の側面を見せてきました。それはラヴ・ディアスとのつながりです。

ラヴ・ディアスをウィキペディアは「フィリピン映画界の怪物的映画作家と呼ばれる」と記述していますが、怪物かどうかは置いておくとして、異次元の芸術家であることは間違いないでしょう。映画から上映時間という概念をとっぱらい、自由に時空を操って人間と歴史を語る怪物です。あ、怪物だった。そして、ラヴ・ディアス監督にベルリン銀熊賞をもたらした『痛ましき謎への子守唄』(’16)を製作したのが、ポール・ソリアーノが設立した会社でありました。

本作『マニャニータ』の脚本はラヴ・ディアスです。ゆったりとした物語世界の進行は、やはりラヴの真骨頂でしょう。しかし、多彩なソリアーノ監督に孤高のラヴ・ディアスを組ませると、こんなに相性がいいとは! ラヴ流のじっくりとした物語は、ソリアーノの演出に乗って、怒涛の終盤へと流れ込んでいきます。この興奮を抑えるのは容易ではありません。

確かな強度を持った映像を実現しているキャメラマンのオデッセイ・フローレスは、ブリランテ・メンドーサ監督のカンヌコンペ出品作(そして主演女優賞受賞作)『ローサは密告された』(’16)のキャメラです。そして影のある無口なヒロインを見事に演じたベラ・パディーリャは、映画とTVで活躍する一方で、脚本やプロデューサーも手掛ける才人であります。

つまり、『マニャニータ』は現在のフィリピン映画の才能が集結した作品だということであり、もうこれ以上の解説は蛇足でしょう。ご期待を!

■『チャクトゥとサルラ』(中国)


続いて中国から、『チャクトゥとサルラ』。ワン・ルイ監督5本目の長編作品です。過去には『離婚のあとに』(’96/当時の表記はワン・ロイ)が日本で公開されています。残念ながら僕は未見ですが、テレビと映画の双方で活躍する存在で、北京電影学院の監督学科の主任教授でもあります。

中国の内モンゴル自治区を舞台に、広大なスケールで見せる夫婦愛の物語。モンゴルの草原で伝統的な暮らしを送る夫婦の生き方の相違がベースとなり、夫は都会に越したいのに対し、妻は草原の暮らしに留まりたい。夫はしょっちゅう都会に出て仲間と遊んだり、ちょっとした仕事をしたりして、長い期間家を空けてしまう。妻は諦め半分、悲しみ半分で夫を待つが…。

『チャクトゥとサルラ』
見どころは、まずはなんといってもモンゴルの景観の素晴らしさで、これは分かっていても息を飲みますね。大スクリーンでみたらさぞや…、という期待が膨らみます。

そして夫婦のキャラクター造形がとてもいい。夫のチャクトゥは家を離れがちなのだけど、それなりに妻は愛している。モンゴル式のテントの家(ゲル)で「やっぱWi-Fiいるよなー」とこぼす一方で、馬に乗らせたらハンパない、という二面性がたまりません。妻のサルラも夫は愛しているのだけど、一緒に都会に住むつもりはなく、伝統的な暮らしを大切にしている。サルラも夫への愛と伝統的な暮らしの間のジレンマに悩むことになります。

ふたりとも内モンゴル出身の俳優で、あまり情報が無いのですが映画への出演は多くはないようです。しかし無責任な言動と、誠実な態度とがコロコロ入れ替わる夫役に絶妙な説得力を与えるジリムトゥさん、そしてとても可愛らしく、強い意志も持つ妻を演じるタナさんも素晴らしい。妻の切ない思いを表す場面は、必ずや観客の胸を打つはずです。

経済大国たる中国において、モンゴルでの伝統的な生活をいつまで維持できるだろうかという点が主題のひとつにもなります。土地や家畜を売り、都会で豊かな暮らしを送る誘惑は猛烈に抗い難いだろうことは容易に想像がつくだけに、夫を責めてばかりもいられない気になります。現代を象徴するリアルな物語でもあるわけです。

2017年の「アジアの未来」で上映した『老いた野獣』に主演したトゥー・メン(同作で台湾金馬賞にて最優秀主演男優賞受賞)が本作にも特別出演の形で顔を見せています。役者、原作者、脚本家は内モンゴル出身ですが、一方で製作サイドには漢民族のワン・ルイ監督はじめ、北京電影学院で教える映画人が多く参加しています。台頭著しい内モンゴル映画界との理想的なコラボレーションが実現していると言えそうです。

雄大な景観と繊細な感情を併せ持った世界に浸って頂きたい作品です。

■『ばるぼら』(日本)


さて、日本映画です。まずは『ばるぼら』。手塚眞監督の新作です。手塚監督は、過去に『ブラックキス』(’04/映画祭上映時タイトル『シンクロニシティ』)と『星くず兄弟の新たな伝説』(’16)が東京国際映画祭で上映されていますが、今回の『ばるぼら』ではじめてコンペでお招きします。

日本が産んだ最大の天才のひとりを親に持つ手塚監督は、その重みから逃げも隠れもせず、マンガと隣接の映像業界で独自の表現活動を続ける稀有な存在であると僕は思っています。とはいえ、生誕90年の記念の年に、手塚治虫氏の作品を映画化するプレッシャーは莫大であったはずであり、その挑戦心に深く敬意を表さずにいられません。

「ばるぼら」は手塚治虫作品の中では異色作と呼ばれていますが、手塚眞監督としてはむしろ「ばるぼら」であれば自分の色も出せるはずだと考えたと発言されています。自分が映画化する意義を見出せる作品、いわば父親とコラボできる作品を厳選した結果が「ばるぼら」だった、ということでしょう。映画『ばるぼら』を見ると、その意味が深く納得できます。

耽美派作家として人気を博す存在の美倉が、ふとしたことでホームレスの娘を助けて自宅に連れ帰る。娘は「ばるぼら」と名乗り、大酒を飲んで美倉の家に居ついてしまう。そして美倉の周辺には奇妙な出来事が相次いでいく。はたして、ばるぼらは守護天使なのか、悪魔なのか、それとも…。

『ばるぼら』『ばるぼら』
奇妙な娘に入れ込み、やがて酒と欲に溺れ、正気と狂気の際をさまよう芸術家の魂の彷徨。夢なのか現実なのか。それとも、夢のような現実の中を、見えない力によって生かされているのか、主人公の内面の混沌を大胆に映像化していく作品です。

手塚監督は、持ち前のビジュアルセンスをフル回転させ、耽美的で退廃的な世界を、独自な色使いやキャメラアングルを駆使して描いていきます。幻想的であり、そしてエロティック。原作(1973年)の光景を活かしたようなタッチが、ユニークなレトロSFの風味に繋がるかと思えば、シャープで現代的なショットも相次ぎ、まるで万華鏡を覗いているかのよう。

このビジュアルを実現したのが、名手クリストファー・ドイル。「ビジュアリスト」手塚眞の世界観との相性が絶妙であったようです。ドイルも自らの美学を非常に大切にするキャメラマンなので、コラボレーションがどのような形で達成されたのか、監督に尋ねるのが楽しみになります。

美倉役には稲垣吾郎さん。昨年の『半世界』に続き、2年連続でTIFFコンペにお迎えすることになりました。『半世界』では地に足のついた人間像をリアルに体現していましたが、今回は真逆で、どこか超現実的な世界の中の住人に見事になりきっています。色気を携えた人物であることが要求される役ですが、その点を十分に備えていることは言うまでもないとして、堕ちていってしまう知識人のもろさのようなものを絶妙に表現し、この役が出来るのは稲垣さん以外いなかったのではないかと思わされます。存在感はリアルなのだけど、どこか現実離れしている。つくづく幅の広い役者だと唸ります。

そしてばるぼら役に二階堂ふみさん。小悪魔(あるいは小天使?)をのびのびと、そして堂々と演じ、まさにハマリ役。真意が全く読めないにもかかわらず、接した相手は溺れずにはいられないという摩訶不思議な魅力を発揮できるのは、これまた二階堂さん以外にいなかったでしょう。それにしても、原作マンガを読むだけで大いにチャレンジングな役であることが自明であり、肝の据わった役者魂に感服です。

このように見どころ満載の『ばるぼら』、お楽しみに!

■『喜劇 愛妻物語』(日本)


コンペ最後の14本目は、日本映画で『喜劇 愛妻物語』です。足立紳監督は、脚本作品として『キャッチボール屋』(’05)と『百円の恋』(’14)で東京国際映画祭とご縁があり、監督1作目『14の恋』(’16)を「日本映画スプラッシュ」にご招待しました。監督2作目の本作はコンペティションです。

なかなか売れない脚本家の夫と、彼を叱咤しながら働いて家計を支える妻。幼い娘がかろうじてかすがいになっているものの、ふたりの間にケンカは絶えない。というか、夫が一方的にやりこめられる。それでも夫は妻とセックスしたくてチャンスを狙っている!そしてそんな夫の企画が通り、香川に家族で取材旅行に行くことになるが…。

どこまで足立監督の実体験がベースになっているのか、おそらくかなりの部分ではないかと妄想してしまうのですが、これは上映後のQ&Aがとても盛り上がりそうですね。

『喜劇 愛妻物語』『喜劇 愛妻物語』
「妻とセックスしたいのだ」という夫のモノローグで始まる冒頭から、クスクスとニヤニヤが止まらない絶妙のコメディーです。とても笑える一方で、売れなければという強いプレッシャーを抱える表現者たる夫と、彼への期待と失望の繰り返しに疲れている妻の、切実で赤裸々な生活のドラマでもあります。

しかし本作が絶妙なのは、上記のような安易なまとめが当てはまらないところで、例えば夫は本当に売れたいと努力しているのか、それとも妻の手前頑張っているところを見せようとしているだけなのか、なかなか分からないところです。いつも怒っている妻も、どこまで本当に怒っているのか、実は応援し続けているのか、そうそう簡単には観客に悟らせません。このサジ加減はとてもうまくて、人って本来こういうもんだよなと思わされます。コメディーだけれど、現実をデフォルメした笑いではなく、リアルさを追求した果ての笑いと言ってかもしれません。あるいは、身につまされて笑ってしまう、みたいな。

これら全てを可能にしたのが足立監督の見事な脚本であり、練りに練って洗練させたセリフのひとつひとつが効果的であって、無駄なセリフ、無駄なリアクションがひとつもない。

そして、何といっても役者陣。濱田岳さんを映画で見るのはいつも大きな喜びですが、今回はその喜びが最大限になるとともに、大きな驚きへと繋がるような、もう名人級の上手さです。顔芸をしているわけではないのに、表情一発で爆笑を誘うとは、いったいどういうことでしょう。そして妻も嫌がるように、眠る妻に迫るときのあの声! ああ、もう思い出しただけで笑いがこみ上げる!

さらに、水川あさみさん。こんなに凄い女優だったとは! と今更気付いていてはいけないのですが、心底びっくりしました。怒りや諦念や優しさなどの感情スイッチの切り替えの速さと巧みさが並みでない。そして本作は妻の怒りがポイントなので怒るシーンが大事なのですが、しかし激しく怒りながらも観客に嫌われてはいけないので、そのギリギリの線をド迫力で攻める、というこれはもう圧巻であるとしか言えません。

水川さんの激しい攻めの演技が、濱田さんから極上の受けの演技を引き出した、という見方も出来ますが、これも足立監督の場の演出力があってこそ。2作目にして、監督足立紳が到達した地点の高さに驚かされます。コメディーを超えた次元に行きつきながら、それでもコメディーの範疇からは完全には逸脱しない絶妙なエンディング。脱帽です。

愛さずにいられないこの夫婦の行方を、みなさんも是非見守って下さい!

以上、コンペの14作品を紹介してきました。実に様々なタイプの作品が揃っていると感じてもらえたら嬉しいです。観客の皆さんに良き出会いがたくさんありますように!

《矢田部吉彦》

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