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【MOVIEブログ】2019東京国際映画祭コンペ部門作品紹介(2/3)

東京国際映画祭のコンペ作品紹介、第2弾です。

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『ディスコ』(c) Mer Film
『ディスコ』(c) Mer Film 全 4 枚
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東京国際映画祭のコンペ作品紹介、第2弾です。


■『ディスコ』(ノルウェー)


北欧から2本。まずはノルウェーの『ディスコ』。社会派と家族ドラマと青春映画をミックスした、個性的で強いインパクトを有する作品です。

とても激しいディスコ・ダンス(というか、モダン・ダンスというか、なんと呼んでいいのかよく分からないのですが、とにかく激しい)の大会で活躍する少女が主人公。彼女の家はキリスト教信仰に傾倒していて、父親は人気宣教師として広く活躍している。しかしその信仰はほとんどカルトすれすれで、少女が競技で不調に陥ると、両親は少女にさらに重く信仰を押し付けてくる…。

『ディスコ』(c) Mer Film『ディスコ』
本作の魅力は、映像が明るくシャープで美しいこと、しかし描かれる現実は恐ろしいというそのギャップにあります。カルト的な世界を描きながら陰気な雰囲気がみじんもない映画のルックは、多くの観客を受け入れ得る可能性を広げるので好ましいのですが、しかしその明るさがカルトと「正常」の差を見極めにくくさせている事態を象徴している気もして、さらに恐ろしくもなるのです。そういう意味でもとても上手い。

ヨールン・シーヴェンシェン監督は本作が2作目。人間関係において、パワーバランスが崩れたときの一方の他方に対する圧力のかけ方に関心があるとインタビューで語っています。本作では、競技で不調に陥った少女に対して親が信仰を押し付けるという行為がそれに当たるわけですが、もともとパワーバランスが対等ではない家族という世界でその関心事を描こうという視点がユニークです。

監督の前作の『The Tree Feller』(17)では、都会を逃がれ、山の中に引きこもって一人で暮らす主人公の中年男に対して親族が何かと干渉してくるドラマでしたが、その干渉の仕方もあからさまでなく、じわじわと迫る展開に監督のセンスを感じました。今作も、ドラマのためのドラマではなく、普遍的な家族関係からドラマが逸れないような丁寧さが、映画の説得力を増しているといえます。

ヒロインを演じるヨセフィン・フリーダ・ペターセンは、高校生の生々しい日常を描いて北欧で社会現象的なヒットとなったテレビドラマ『SKAM』の主役の一人を演じ、一躍スターになっている存在。今後のさらなる飛躍が楽しみな女優です。

■『わたしの叔父さん』(デンマーク)


次はデンマークの作品で『わたしの叔父さん』。こちらはぐっと落ち着いて、じんわりと心に染みる作品です。僕はこの作品について語ったり書いたりする度に目頭が熱くなってしまい、ちょっと困っています。

体の一部に自由の効かない老いた叔父と、彼の面倒を見ながら一緒に暮らす姪のふたりが、小規模な農家を営んでいる。ある日、牝牛の出産を手伝った姪の心に、かつて獣医を志望していた情熱が蘇ってくる…。

『わたしの叔父さん』(c) 2019 88miles『わたしの叔父さん』
叔父さんと姪の毎日の暮らしをじっくりと描いていきますが、ほとんど会話もない(が、分かり合えている)ふたりの様子を淡々と捉えるタッチが映画ファンにはたまらなく、画面の隅々までを愛せずにいられません。キャメラが素晴らしい。農村地帯の美しい景観を愛で、そこはかとないユーモアに笑い、そして獣医の夢と叔父への愛のジレンマに悩む姪の姿に胸をわしづかみにされるドラマです。本当に、こうやって書いているだけで胸のあたりが落ち着かなくなってきました。

ただ、単に小さく美しい家族の物語であるかというとそうではなくて、デンマークでは小規模な牛舎を削減する政策が進行しており、本作で描かれるような家族経営農家が姿を消しつつあるという現実があるようです。農地出身のフラレ・ピータゼン監督は、変わりゆく田舎の光景を撮っておかなければならないという思いにも駆られたと語っています。叔父と姪との関係をじっくりと描く内容でありながら、その先には社会全体に向かうまなざしが確実に存在しています。

ピータゼン監督は本作が長編2作目で、前作の『Where Have All The Good Men Gone』(16)では非道な義父の虐待に苦しむ少女が実の父を見つけて交流を深めるというドラマでしたが、実の父と娘の絆や、義父への復讐に至るスリラー要素に加え、実父が戦争のトラウマで苦しむ元兵士であるという設定に、社会派としての側面も伺える作品でした。社会の小単位たる家族と、より大きな環境とを並置することがピータゼン監督の特徴かもしれません。

とはいえ、本作はあくまで叔父と姪の絶妙な関係を楽しむことが中心となることは間違いないです。監督は農家に住み込んで本作の構想を練ったそうですが、その住み込み先の老人の農夫があまりに魅力的なので、本作にそのまま抜擢したとのこと。つまり演技経験はなし。そしてなんと姪役の女優さん(彼女はプロ)は本当にこの老人農夫の姪なのです。ふたりの醸し出すケミストリーが抜群だったのでそのまま映画に起用したということですが、もう本当に奇跡のキャスティング、ご堪能あれ!

■『アトランティス』(ウクライナ)


次はユーラシア大陸をぐっと東に行き、ウクライナです。『アトランティス』

舞台は2025年というとても近い未来。冒頭に「終戦直後」というテロップが出ます。ロシアとウクライナの戦争が終わった(つまりは両国間に激しい戦争があった)と悟ることができ、たちまち血が凍る気分になります。主人公の元兵士の男は深いトラウマを抱え、生きる意味を見失っているように見える。しかし、身元不明の死体を発掘する作業に従事するボランティアの女性と知り合い、次第に自分の心と向き合うようになっていく…。

『アトランティス』『アトランティス』
映像が持つ強度に圧倒される作品です。完璧な構図。シュールにそびえる溶鉱炉。恐竜のようなパワーショベル。鉄製の巨大トラックと横長シネスコ画面の相性がこんなにいいとは。

色彩の鮮度を落としたモノクロ調の、殺伐の美学。そして、鮮烈な美意識に貫かれたド迫力のワンシーン・ワンショット。全シーンが驚きに満ちていると言っても過言ではありません。ワンテイクしかチャンスがなかったとしか思えないような奇跡のショット。これはちょっとすごいです。

一体この監督は何者だ?と思わされるのですが、確認して納得。ヴァレンティン・ヴァシャノヴィッチ監督は、『ザ・トライブ』(14)のカメラマンでした。『ザ・トライブ』はその年のカンヌを文字通り震撼させ、「批評家週間」での上映でしたが、コンペがふさわしいのではないかという声が多く聞こえたものでした。『アトランティス』はその『ザ・トライブ』の製作チームが結集して作られています。

映像の迫力もすごいのですが、細かい美術も素晴らしい。無造作に埋められた兵士の死体を発掘して身元を確認する場面が度々あり、ミイラ化した遺体や腐敗した軍服などの美術は本当に一見の価値があります。廃墟にしても同様で、いったいどうやって撮ったのだろうと驚いてばかりです。そして、ああもう、堪らなく大好きなシーンがあるのですが、これは大きなサプライズなのでここでは書くのを控えます…。早く語りたい!

ヴァシャノヴィッチ監督は、ウクライナとロシアの紛争の現在を映画に描くつもりであったのが、どうにも通常の戦争映画の枠内に収まってしまいそうだとの限界に気づき、舞台を2025年の近未来に置くことにしたと語っています。そうすることで、想像(創造)の自由度を広げた、ということでしょうか。まさに恐るべき才能。

主演には、実際の元兵士をオーディションしてキャスティングしたとのこと。ここでもリアリズムが貫かれていて、やはり佇まいが違います。しかし実際に戦争から戻った本人の心中を想像してみれば、すごい映画だと喜んでばかりもいられません。圧倒的な芸術的興奮と、厳粛な気持ちの双方に包まれる作品です。

■『ラ・ヨローナ伝説』(グアテマラ)


次は中南米、グアテマラの作品で『ラ・ヨローナ伝説』。ハイロ・ブスタメンテ監督は前作『火の山のマリア』(15)がベルリン映画祭のコンペで受賞して話題になり、本国でもヒットを記録して日本の公開も果たしました。期待の存在と言えます。女優のマリア・メルセデス・コロイも、前作に続いての出演です。

『ラ・ヨローナ伝説』(c) COPYRIGHT LA CASA DE PRODUCCION - LES FILMS DU VOLCAN 2019『ラ・ヨローナ伝説』
『ラ・ヨローナ ~泣く女~』(19)というホラー映画が今年の春に日本でも公開され、僕も見に行きましたが、死霊館シリーズなのかな、なかなか上質のホラーで楽しみました。もともと「ラ・ヨローナ」というのは南米に伝わる怪談/伝説で、ホラー映画の題材となりやすいのかもしれません。日本で言えば貞子、いや、お岩さんのような存在でしょうか。

ラ・ヨローナの怪談とは、横暴な夫の脅迫によってふたりの子を水に沈めて殺害し、自らも入水自殺した母親を神が罰し、結果その女性の霊は泣きながら現世をさまよっている、という内容です。夜に泣き声が聞こえる、そして水に近いところにいる、というヨローナ怪談の要素が『ラ・ヨローナ ~泣く女~』と本作『ラ・ヨローナ伝説』にも生かされています。

もっとも、本作『ラ・ヨローナ伝説』はその怪談を取り入れてはいますが、ホラーではありません。それどころか、怪談をはるかに上回る現実の恐怖が描かれます。グアテマラは酷い内戦が続いた現代史を持ち、80年代には大規模な殺戮が繰り返され、81年から83年にかけては年間3千人が殺されていたという事実があります。本作は、ジェノサイドを指示した罪で告発されている将軍と、その一家の姿が描かれていきます。

人類最大の罪とも言えるジェノサイド。その罪をいかに裁くのかという主題に、白人支配層と先住民の関係を巡る歴史、さらにそこに虐げられる女性の象徴としての「ラ・ヨローナ」の伝説が絡み、実に深く重層的なドラマが綴られます。なんと見事な脚本だろうと唸ってしまいます。そしてホラーでないと書きましたが、全くホラー要素がないということではなく、そのサジ加減も見事。

撮影もシャープで明るく、メジャー映画のルックも携えているのが特徴で、社会派ホラーとして商業公開も十分に行けるでしょう。『火の山のマリア』が辺境の地を舞台にしていたので、土着的な映画を撮る人かと思っていたのですが、新作ではその土着性を意識させながらも都会を舞台にし、洗練された社会派スリラードラマを放ってきたブスタメンテ監督の深い才能には感嘆するばかりです。今後も目が離せません。

《矢田部吉彦》

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