『ミッドサマー』と『ヘレディタリー』の深い繋がり―「絶望の叫び」と「疎ましさ」からアリ・アスター作品を読み解く

《text:宇野維正》「アアアアアアアアアアアアアアア」。アリ・アスターの作品からは、他のどんなスリラー映画やホラー映画の叫び声とも違う、同じ音階のまま異様に長く引き伸ばされた、この世のものとは思えないような絶望の叫びが聞こえてくる。

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『ミッドサマー』(C) 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.
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《text:宇野維正》

※本記事は、映画の重要な展開について触れています。必ずご鑑賞後にお読みください。

アリ・アスター作品における“絶望の叫び”の意味


 「アアアアアアアアアアアアアアア」。アリ・アスターの作品からは、他のどんなスリラー映画やホラー映画の叫び声とも違う、同じ音階のまま異様に長く引き伸ばされた、この世のものとは思えないような絶望の叫びが聞こえてくる。長編デビュー作となった前作『ヘレディタリー/継承』(2018年)の中盤でその叫びを上げるのは、筆舌しがたいほど無残な事故で娘を失った時の母親だったが、それは『Munchausen』(2013年)を筆頭とする初期短編においても特徴的な、これまでのアリ・アスター作品のシグネチャー(署名)である。そして、彼の作品の恐ろしいところは、その叫びの先にさらなる「本当の地獄」が待ち受けていることだ。アリ・アスター作品における絶望の叫びは、いわばその幕開けを告げるファンファーレの役割を果たしている。

『ミッドサマー』(C) 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.
 通常版でもその尺が147分(170分のディレクターズカット版も存在する)という、ホラー映画(ちなみにアリ・アスター監督自身は本作が「ホラー」とジャンル分けされることで観客が限定されることに懸念を示している)のジャンルにおいては異例の長さを持つ『ミッドサマー』にも、主人公の絶望の叫びはしっかりと刻印されているが、そのシーンは思いのほか早い段階、正確に言うと作品が始まってまだ12分しか経っていない時に訪れる。物語の序盤部分なので詳細を書いてしまうが、主人公ダニーの両親と故郷で一緒に暮らしている双極性障害(とはっきり病名が劇中で語られている)を患う妹が、両親を道連れにクルマの排気ガスを用いて無理心中を図る。絶望の叫びは、ニューヨークで大学に通っているダニーがその事件の全容を警察から電話で知らされた時に発せられる。スクリーンを注視していると、バスルームの鏡にダニーの背後で一瞬映る姿、さらに物語の舞台がスウェーデンに移ってからは薬物でのトリップ中の幻覚、最初の死を目撃した直後の幻視と、その後も妹は作品全編でダニーへの「呪い」として痕跡を残し続けていることに気づかされる。『ミッドサマー』はまず第一に、ダニーと死んだ妹の物語なのだ。

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『ヘレディタリー』と『ミッドサマー』の共通点


 『ミッドサマー』のダニーと死んだ妹との関係は、そのまま『ヘレディタリー』における兄と死んだ妹(前述した母親にとっての娘)の関係に置き換えることができる。両者とも、生前の妹を、自分の楽しい学生生活の邪魔をする鬱陶しい存在として疎んじているところまで同じだ。つまり、インタビューで「両作品とも、自分にとってはパーソナルな内容で、自分の分身となるようなキャラクターがいます」と語るアリ・アスターは、長編デビューしてから2作続けて「疎ましく思っていた妹の死」についての物語を作り続けているわけだ。『ヘレディタリー』と『ミッドサマー』の共通点はそれだけじゃない。中盤に「絶望の叫び」がある『ヘレディタリー』と、序盤に「絶望の叫び」がある『ミッドサマー』、その作中での時間配分がまったく異なるので見落しがちだが、二つの作品はほとんど同じ構造を持っている。『ヘレディタリー』ではラストのシークエンスで、家族で唯一生き残った兄(その境遇も『ミッドサマー』の主人公と同じだ)がある儀式に立ち会うことになるわけだが、作品が始まってから24分でアメリカからスウェーデンに飛び立ち、そこから陸路を経て36分でホルガ村に到着する『ミッドサマー』は、その後100分余りの時間を費やして、『ヘレディタリー』ではラスト数分で終わった儀式の様子をひたすら事細かに描いていく作品と言ってしまうこともできる。

『ミッドサマー』(C) 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.

物語の鍵となる3つのポイント


 その時間配分から、『ミッドサマー』についてはホルガ村の異様なしきたりや儀式について語られることが多いが(もちろん、それを語ることの重要性は否定しない)、ホルガ村に到着するまでの36分の間に、作品の鍵となるポイントはすべて提示されている。一つは妹の死。もう一つは──これは『ヘレディタリー』では描かれなかった──主人公を表面的には慰めながらも本心では疎ましく思っている恋人の存在だ。男友達と楽しい時間を過ごしているのにウザったい電話をかけてくるダニー、男友達と(現地での女遊びも見据えた)旅行の計画を立てているのに空気をまったく読めずについてくるダニー、みんなでマリファナを吸う時に一人だけ「私はちょっと……」とかノリの悪いことを言い出すダニー。自分は男なので、最初に『ミッドサマー』を観た時、思わず「あるある!」的に恋人のクリスチャンに同情をしてしまったが、よくよく考えたらクリスチャンは本当にロクでもないやつだ(恋人の誕生日は忘れるし、友達の論文のテーマを平気でパクるし、友達が突然姿を消してもほとんど気にもしないし)。しかし、そのロクでもなさはそのまま、この物語が始まる前に主人公ダニーが生前の妹にとってきた態度にも当てはまるのではないだろうか。つまり、ここでも対人関係において多くの人が抱きがちな、弱ってる者に対しての「疎ましさ」がテーマとして浮上してくる。そして、精神的に弱ってる者に対しての思いやりが欠如している者は、アリ・アスター作品においては必ず最後に手酷いかたちで罰せられることになる。そこに、自作を「パーソナルな内容」と言いきるアリ・アスターが抱えている、復讐心や自罰意識を指摘しないわけにはいかない。

『ミッドサマー』(C) 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.
 そして、三つめのポイントとして提示したいのは、スウェーデンに飛び立つ前のニューヨークでの24分と、ホルガ村に到着してからの100分余りの時間に挟まれた、12分間のスウェーデン国内のホルガ村までのクルマでの移動とドラッグ体験のシーンの重要性だ。前作『ヘレディタリー』以上に全編おびただしい数の過去の映画のレファレンスに溢れている『ミッドサマー』だが、ここで注目すべきはパク・チャヌクの復讐三部作の最終作『親切なクムジャさん』(2005年)のオマージュである、移動中の車を捉えたカメラが途中で回転して逆さまになるシーンだ。その後、ホルガ村出身の友人ペレの地元の仲間からマリファナをすすめられて最初は躊躇していたダニーだが、結局は謎の薬物が入ったティーを飲んで、白夜の最中にバッドトリップして長時間意識を失う。その場所は、ホルガ村の入り口のすぐ手前にある草原だ。「逆さまになった世界」と「ドラッグによるバッドトリップ」。その二つを経て、いよいよ始まるホルガ村での「本編」は、もしかしたらすべてダニーの幻覚なのかもしれない。

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《text:宇野維正》

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