「他の国の人たちと力を合わせてものを作るって、やっぱり素晴らしい」

──そんなお二人で、95%以上が韓国のスタッフ・キャストという現場に臨まれました。
池松:今の韓国を見られる機会は貴重でした。同時代を生きる隣の国の人たちが人生をどう生き、どう喜び、どんな痛みを負っているか。そして映画をどう捉えているか。ただし、撮影が大変だったのは確かです。意思を伝えるのにも、文化、言葉、ルール、歴史的な背景など、様々な違いに直面します。その分普段の何倍もの時間とエネルギーが必要でした。
オダギリ:今回の場合、韓国映画のシステムとは言っても、韓国の常識的なシステムではなかったと思うんです。日本の方法論をお願いした形だったと思います。そんな中、心意気を持ったスタッフが集まり、作品をいいものにしようと心を1つにした事実はとても尊いもの。普段よりつらい現場だったとしても、この作品の為に身を削ってくれる姿は感動的でした。他の国の人たちと力を合わせてものを作るって、やっぱり素晴らしいですよね。何が起こるかも分からないけど、とにかく楽しい。
池松:同じ物語を共有し、それを信じて、ご飯を一緒に食べて、ビールを飲んで、笑い合えていた。かけがえのない経験でした。

──オダギリさんには韓国語の台詞、池松さんには英語の台詞もありました。
オダギリ:母国語でない芝居だと、逆にシンプルにできたりもするんです。言葉のニュアンスにとらわれる必要がなく、気持ちを伝えるという原点に戻れるので。相手に感情が伝わるか伝わらないか、それだけの事です。海外の俳優を相手にするときのほうがむしろ純粋に芝居ができると僕は思っていて。だから、楽しめてはいます。その分、試されている気もしますし。
──日本語、韓国語、英語が飛び交う台詞の中、ソル(韓国人きょうだいの長女)に英語で話すときの剛(池松さん)は声を張っていますよね。兄(オダギリさん)と日本語で話すときの声はゆるいのに。
池松:それが人間ですよね(笑)。マスクをするようになってから声が随分と大きくなりました。相手に届けようとするからです。
──まさに、剛の中にはソルに“伝えたい”という気持ちがあり、オダギリさんのおっしゃった「純粋な芝居」にもなっている気がしました。
池松:あとは言葉自体の変な浮つきと浮遊しているような感覚。いくら日本語で喋っていても伝わっていないわけですから。そこが、この映画の圧倒的な面白さの一つだと思っています。言葉の意味や本来の価値を超越すること、縛られた概念を飛び越え、生き延びるために手を組んで本来あったはずの大きな心の自由に触れること。いつの間にか真実を見失っていたもの達が出会い、こびりついた価値を捨て、再生していく物語ですから。
