韓国ノワールの金字塔ともいえる映画『新しき世界』で主人公を演じ、Netflixのドラマ「イカゲーム」で世界的に知られることとなったイ・ジョンジェ。『スター・ウォーズ』の前日譚シリーズ「The Acolyte」で、ジェダイ・マスターを演じることも決定している。
そんな彼が脚本・監督、そして朋友のチョン・ウソンと共同主演を務めた映画『ハント』が日本でも公開となる。「この映画を実現させるのは難しい」と多くの監督や脚本家に断られてもなお、映画を完成させたいと彼を突き動かしたものはなんだったのだろうか。「イカゲーム2」の撮影の中、自分の声で映画の魅力を伝えたいと来日した彼に話を聞いた。
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映画完成までの経緯と苦労
――この作品は元々原案があって、様々な監督の手を渡った後にイ・ジョンジェさんの元にたどり着き、それから4年に渡ってシナリオを書いて完成させたと聞きました。イ・ジョンジェさんを突き動かしたものは何だったんでしょうか?
はじまりは本当にシンプルだったんです。これまで多くの作品に出演してきたんですが、一度もスパイ映画に出たことがなかったんですね。だから、一度、スパイ映画をやりたいなと、本当にそんな感じだったんです。
それと、チョン・ウソンさんとは、1998年に『太陽はない』という作品に出て以来、共演がなくて、共演したいと思っていました。その後も、ウソンさんと共演したいと思って努力をしていたんですが、なかなかうまくいきませんでした。この映画のシナリオの初稿を見たときに、スパイ映画をやってみたいなと思う気持ちと、ウソンさんと二人、かっこよく映画に出たいなと思ったことが重なって、初稿の段階の原案を購入したんです。
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――映画が実現化するまでに苦労はありましたか?
版権を買ったとき、これは大幅に変更する必要があるなと思いました。そのため、いい作品に仕上げてくださる監督や脚本家の方を探していたんですが、「これは難しそうだ」ということで皆さんに断られました。作業が止まってしまい、時間だけが流れていくので、自分でなんとかしなくてはと思い、シナリオを読んで「ここはこう変えたほうがいいな」と思ったことをノートに箇条書きで書き留めるようになりました。
そのノートをもとに、また監督や脚本家に会って、こんな風に作品を作りたいと思いを伝えたんですが、やっぱり一緒にやってくれる監督と脚本家が見つからず、もうそれなら…と自分でシナリオを書いてみようということになったんです。
ただ、僕には映画やドラマの撮影もありますし、書いては中断し、撮影が終わったらまた書き始めて…とそんな風にしていたら4年の月日が経っていました。
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チョン・ウソン演じるジョンドの役割が変化
――イ・ジョンジェさんが演じるパク・ピョンホと、チョン・ウソンさんが演じるキム・ジョンドの関係性は、最初に買い付けたシナリオと、実際に出来上がった映画とでは、違っていると聞きました。どのように変化したのでしょうか?
初稿ではジョンドの役は小さな役で、ピョンホがワントップの主人公として描かれていたんです。でも僕はウソンさんと一緒にこの映画をやりたいという大前提があったし、ウソンさんを助演にはしたくなかったんです。だからジョンドの役割を大きくするために、ジョンドがどのような人物なのかというヒストリーを強化し、ジョンドが成し遂げようとしているミッションに意味を与え、そのミッションは必ず成功させないといけないものだという名分を強化したんです。その過程でジョンドとピョンホの関係性も変わっていきました。
ですから、二人が強烈にぶつかりあう部分もより強力になりました。ぶつかりあった後、ふたりが手を取り合うシーンがより熱いものになるためにもそうする必要がありました。ジョンドの人物像がより鮮明になったことによって、描かれる状況やエピソードも変わっていきました。
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――さきほど、「ウソンさんと二人、かっこよく映画に出たい」とおっしゃっていましたが、「かっこよく」撮るとはどのようなことだと思われますか?
映画全体の中で、一部分のシーンをかっこよく撮ったからといって、映画がかっこよくなるわけではないと思います。シナリオに説得力があって、内容に厚みがあることによって、人物というものが、より際立つと思うんですね。登場人物が観客にとって素敵な人物に映るには、シナリオの段階から、その人の考え、行動などがしっかり練られていなければなりません。
その上で、ポイントとなるシーンをひとつひとつ丁寧に撮っていきました。それはビジュアルをかっこよく撮るということではなく、その人の感情が最大限よく見えるように撮るということで、そのことによって、人物が素敵な人として観客に届くと思うんですね。だから僕は、登場人物の心理状態が観客に完璧に伝わるように撮ることが、上手い撮り方だと思いましたし、俳優を素敵に見せる撮り方だと思いました。
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絵コンテは689枚「最初から最後までは、僕が初めて」
――イ・ジョンジェさんがシナリオを大切にしているということは映画を観ていて伝わりました。そのシナリオを書いている間、誰かに読んでもらって助言をもらうことはありましたか?
シナリオを書いている最中、感想を聞くために読んでもらったことがあったんですが、読んでくれた方によって、意見がまったく違いました。なので、その感想から映画に役立てるということはなかったのですが、映画を撮影することが決まった後、スタッフ同士でたくさん話し合いをしまして、それが役に立ちました。映画を撮影する前に、監督はコンテを書きますが、僕はコンテを書く専門の方と一緒に、このカットはこういうアングルで…ということをお伝えして、全689枚の絵コンテを書きました。
そのコンテをもとに、撮影監督、照明監督、アクション監督なども交えてスタッフ会議を重ねました。その話し合いをしたとき、「この部分は観客に伝わりにくいかもしれないんじゃないか」といった意見が出てきて、それを元に修正していきました。なので、シナリオの段階で意見を聞くというよりも、スタッフの会議の中で意見を交わしながら作っていきました。
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――通常、絵コンテというものは、そこまで緻密に準備するものなのでしょうか?
僕の場合は、689枚の絵コンテを準備するのに3か月かかりました。全部書き終えてスタッフに見せたら、とても喜んでくれたんです。それでビールでも飲みに行こうと誘われました。撮影監督は、韓国でたくさんの映画を担当している人なんですが、その彼が、「最初のカットから最後のカットまで全部、事前にコンテを描いてきた監督は初めてだよ」と言っていました。通常は、撮影する前に、ある程度の絵コンテを準備して、「これはどうですか?」と確認して、OKが出れば次にいくものなんですけど、最初から最後まで全部書いてきたのは、僕が初めてだということでした。
――そのエピソードをお聞きすると、イ・ジョンジェさんはタフであり、また緻密に映画に取り組まれたんだなと思ったのですが、普段からそのような部分があるのでしょうか?
僕もここまで自分が緻密にものごとに取り組む人間だとは思っていませんでした。今回は、責任感からそうなったんだと思います。すべてのスタッフが監督の決定を待っている。その決定が遅れてはいけないと思ったんです。そして、その決定が正しいものでないといけないという責任感によって、頑張れたんじゃないかと思います。
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チョン・ウソンとカンヌへ「最も尊い記憶に」
――映画が完成して、カンヌ国際映画祭に行かれたときは、チョン・ウソンさんが隣にいたことが心強かったというようなことを言われていました。映画の撮影でも、やはりウソンさんがいたことで心強かったと思われたことはありましたか?
一番親しい友人が傍にいるだけで、それは本当にうれしいことですよね。僕の監督デビュー作で、いい映画を一緒に作ってみようと意気投合できただけでもうれしかったし、僕もベストを尽くしました。その結果、カンヌ国際映画祭に一緒にいけるなんて、本当にうれしかったです。映画にかかわる人間として、カンヌに二人で肩を並べて行くということは、本当に簡単なことではないと知っていますから…。これまで僕が映画の仕事をしてきた中で、最も尊い記憶になったんじゃないかと思います。
――監督第一作を見て、次も撮ってほしいと期待してしまうのですが、イ・ジョンジェさんはどうお考えですか?
今はまだ実際に撮るという計画はありません。でも、以前から書いてみたいと思っているストーリーがありまして、今、書いているところなんです。シナリオを書いているだけなので、まだどうなるかは未知数なんですけどね。
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