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【映画と仕事 vol.24】渋谷のスクランブル交差点で白昼、ハリウッド大作を撮影する未来はありうるか?『ザ・クリエイター』の日本ロケを支えた男が描く夢

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のギャレス・エドワーズ監督のオリジナル脚本によるアクション超大作『ザ・クリエイター/創造者』が10月20日(金)に公開となった。

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『ザ・クリエイター/創造者』では日本でのプロダクションサービスに加え、映画にも出演している。現場でギャレス・エドワーズ監督と会話する田中氏。
『ザ・クリエイター/創造者』では日本でのプロダクションサービスに加え、映画にも出演している。現場でギャレス・エドワーズ監督と会話する田中氏。 全 7 枚
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法律業界からエンタメ業界へ「より自由に、しがらみにとらわれずに」


――ここから、田中さんご自身のキャリアについてもお話を伺っていきます。日本、ニューヨーク州での弁護士の資格を持ち、アメリカ、ヨーロッパの法律事務所でもお仕事もされていた田中さんですが、2002年より17年間にわたってウォルト・ディズニー・ジャパンに勤務され、ディズニー映画配給事業の日本代表も務められました。そもそも、なぜエンタメ業界で働こうと思ったのでしょうか?

もともと、エンタメは好きでドラマや映画はよく見ていましたが、それもオタクというほどではなく、エンタメ業界で働こうとも思っていませんでした。

ひとつのきっかけとなったのが、弁護士という頭も使うし責任も重い仕事をする中で、唯一、自分の中で楽しめたのがエンタメ系の仕事だったということです。エンタメ系の仕事といっても、様々な契約に際して、決まった雛型の書面に著名人の名前を入れる程度のことなので、とてもミーハーなんですけど(笑)、それだけのことにワクワクドキドキしていました。

そこで気づいたのが、同じような大変な仕事をするにしても、楽しい時とそうでない時がある。それならば、自分の持っている法律という専門性を用いてエンタメの仕事ができたら面白そうだなと思って、そっちの方向に進むことを決めました。

――その後、ディズニーという大手映画会社で数々のヒット作にも携わってきた田中さんが、独立してご自身で新しい事業に挑戦しようと思ったのはなぜですか?

ディズニーで働いていた時から「いつかは自分でやらなきゃいけない」という思いは抱いていました。

人と関わりながら集団で仕事をして、喜びも悲しみも分かち合うという仕事の仕方は好きですし、だからこそ大きな組織での集団でのキャリアを選んできました。実際、ディズニー時代に色々な人とご一緒して、一生のお付き合いができるような人たちに出会えてよかったと思っています。

ただ、大きな会社で17年間もやっていると、会社のために仕事をすることが第一義であることだと分かりつつ、自分独自の経営判断、価値観と会社の経営方針が必ずしも一致しないことも多々出てきます。どちらが正しい、という訳ではないですが、残り50年の人生、大会社の価値観に迷惑をかけずに、自分のやりたい、やるべき事業を手掛けていきたい、という想いが強くなりました。

弁護士の仲間の多くが、自分で独立して事務所を構えたり、経営者としてやっていたりということも大きかったですね。

『ザ・クリエイター/創造者』では日本でのプロダクションサービスに加え、映画にも出演。写真は撮影現場でのもの。

――最初に説明していただいた「STUDIO MUSO」の事業の2つ目の柱となる「日本の漫画などのオリジナルのストーリーを企画として成立させ、世界規模の作品に仕上げて世界に発信していく」というビジネスは、ディズニーでされてきた仕事やプロダクション・サービスとも異なり、完全にクリエイティブの部分を担う仕事になります。「一から企画して作品を作りたい」という思いは以前からお持ちだったんでしょうか?

ディズニーで働き始める際、もう一社、オファーをいただいて迷った会社がありまして、それはギャガ(※当時はギャガ・コミュニケーションズ)さんでした。当時は創業者の藤村哲哉さんが社長を務めていて、その時のオファーは法務ではなく、プロデューサーのポジションでした。

当時、ナムコの「鉄拳」やカプコンの「鬼武者」といったゲームを実写映画化できないかという企画があり、単に権利を取得するだけでなく、ギャガも共同プロデューサーとしてガッチリ入って作品を作ろうということで、藤村さんが奮闘していました。そこに私のようなdeal-making(取引の成立)の知見があり、現地と話ができる人間が入ることで、企画を進めていこうというお話をいただいたんですね。

最終的に、ディズニーに入社することにはなりましたが、いまでも自分にとって、藤村さんはこの業界に入ったきっかけでもあり、メンターとして尊敬している方です。その経験があったので「そうか、自分は法律のキャリアしか積んでこなかったけど、映画のプロデューサーもできるんだ!」という思い――良くも悪くも勘違いがありました(笑)。

実際、ディズニーでも法務の人間として入社しながら、勝手に日本の原作の映像化をアメリカの本社の映画部に提案したりしていました。『シュガー・ラッシュ』という映画がありましたが、その元となる企画があって、そのために日本中のゲームメーカーにキャラクターの使用許諾を取りに行ったりしていました。全然、本来の私の仕事ではなかったんですけど(笑)、ゲーム部門のスタッフと一緒にナムコさんやタイトーさんのところに赴き「やりたいです」と交渉していました。

――『シュガー・ラッシュ』に別々の会社のゲームキャラクターがあれだけ出ていることはかなりの驚きでしたが、そこに田中さんが関わっていらしたんですね!

大変でした(笑)。あとは「Dlife」(※BSディズニーのチャンネル。2012年放送開始、2020年終了)が始まる前、ちょうど日本の映画で『ROOKIES -卒業-』が盛り上がっていた頃には「ディズニーでも邦画を作りましょう」と提案して企画が通って、予算もつけてもらい、脚本開発をしていたこともありました。結局、「Dlife」ができたことで企画がストップし、私は関係各所に「すみません」と謝罪して回るハメになったのですが(苦笑)。ただ、その時の人脈はいまも活きていて、色々な企画を実現させようと進めています。

――今後、実現したい企画や夢はありますか?

まだ何ひとつ、成し遂げていない状況で、そんなことを聞いていただけるというのがお恥ずかしいのですが、企画自体は進んでいるものがいくつかあるので、まずはしっかりと形にして、世に出したいと思います。

いまの日本では、そういう企画を立てる人間はTV局や大手の映画会社のプロデューサーが多いですが、インディペンデントの会社でも、大きな企画を実現できるということを示して、より自由に、しがらみにとらわれずに日本の面白い作品を世界に発信できるような道筋が見えてくるといいなと思っています。

――最後に、これから映画業界で働くことを志している人たちに向けてアドバイスやメッセージをお願いします。

まずは、映画というフォーマットにこだわるのかどうかをよく考えてほしいなと思います。個人的に映画への憧れ、「映画にこだわりたい」という思いもありますし、私が大変お世話になった東映の故・岡田裕介会長も映画一筋の方でした。ただ、この十数年で、アメリカのプロデューサーや俳優も含めて、映画とTVの垣根というのがかなり取り払われたのも事実です。

日本でも同じで、映画というのはひとつの媒体に過ぎないと考えて、いろんなものに興味を持って、まずは「良いものを世に出す」ということを地道に頑張れば、例えばショートムービーであったとしても、いずれ長編を監督できるかもしれないし、実績を積み重ねることで“次”に必ずつながっていくと思います。

あまりこだわり過ぎず、まずはいま、何を作っていけるのか?  ということを考えてみると、意外とできることはたくさんありますし、楽しい業界だと思います。

(C) 2023 20th Century Studios

『ザ・クリエイター/創造者』は公開中。

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《黒豆直樹》

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