「日本映画」「台湾映画」ではない
アジア映画としての作品
――グァンハンさんは本作が初の国際プロジェクトへの参加でしたが、その後、韓国ドラマにも出演されましたね。中国語圏のマーケットは非常に大きく、今はNetflixなどで世界各国に台湾の作品が配信されています。仮に台湾の作品だけに出演していても、世界中の人に見てもらえるわけですが、それでもこういう国際プロジェクトに参加する面白さをどう感じていますか?
シュー:今回、仕事という形で異なる文化を体験できて、とても嬉しかったです。日本も韓国も、それぞれ文化が全然違う。僕が一番好きな異文化体験はご飯を食べる時間なのですが、現地だからこそ味わえる楽しさがあります。僕は自分に挑戦し続けることが必要なタイプ。韓国での撮影は、詳しくは言いませんがまた別のチャレンジです。新しいことを学ぶことが好きなんですね。
例えば、飯山線の電車内での撮影は、実際に走る電車の中で俳優がとった行動を記録するという方法でした。「こういう撮り方もあるのか」と、新しく学んだことがたくさんあります。
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――監督にうかがいます。日本のシーンやロケ地について「こういう場所を見せると喜んでもらえる」など、台湾の観客のことを意識しましたか?
藤井:すごく意識しました。なぜかというと、今回この作品の企画書を見て、監督をお引き受けしようと決めた大きな理由が二つあるんです。その一つが、僕がジミーと同じ36歳だったということ。そして、もう一つが、企画書の1枚目にあった「雪の中を電車が走る」という言葉でした。台湾の人たちは雪が好きだということは知っていましたし、(プロデューサーの)チャン・チェンやロジャー・ファンの「コロナ禍で会いたかった人に会えない、行きたかった場所に行けなかった人たちが、もう一度“旅”というものを考え直す作品にしたい」という思いも知っていたので、「こういう景色を撮ってほしいんだろうな」という景色を取り入れたりはしましたね。
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――本作には、日本の人がイメージする台湾と、台湾の人がイメージする日本の風景が、うまく両方取り込まれていると感じました。バランスには気を遣ったのでしょうか?
藤井:カメラマンと一緒に、それぞれ色味や場所の撮り方は工夫していますが、「この地域だからこう撮ろう」というより、「ジミーという人の生きている世界が同じアジアの中にある」ということを意識しました。多分みんな意識的に「日本映画」「台湾映画」と区別して映画を観てきたけれど、今回は「アジア映画を作る」という思いで作っているんです。僕らがボーダーを取り払って作ったことがこの映画の中で作用していたなら、うれしいですね。