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【映画と仕事 vol.28】映画『国宝』が22年ぶりに邦画実写歴代No.1、東京国際映画祭「黒澤明賞」受賞快挙の李相日監督に聞く映画作りと日本映画への思い

22年ぶりに邦画実写歴代No.1の記録を更新した映画『国宝』。本作の李相日監督に改めて自身の映画づくり、そして日本映画への思いについて話を聞いた。

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東京国際映画祭「黒澤明賞」受賞、『国宝』の李相日監督
東京国際映画祭「黒澤明賞」受賞、『国宝』の李相日監督 全 9 枚
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影響を受けた映画作品と映画監督は?


――ここから、李監督の映画体験について、お聞きできればと思います。子どもの頃に何度も繰り返し観た日本映画、特に印象に残っている作品はありますか?

子どもの頃の日本映画だと、(観た)本数は少ないですけど……『南極物語』ですかね。子どもだったので高倉健さんの印象よりも、どうしても犬のタロとジロのほうが強いんですけど(笑)、『南極物語』が一番印象に残っている映画かもしれません。

――監督が幼少期から10代を過ごされた1970年代~80年代だと、邦画よりも洋画のほうが印象に残っていますか?

そうですね。アニメがいまほどは多くない中で、圧倒的に洋画でしたね。『南極物語』と同じ時期でいうと、スピルバーグの作品とか、子どもには驚きの連続で、洋画を観る機会のほうが多かったです。

――映画監督として、影響を受けた作品や監督の存在があれば教えてください。

結果論ですが、やはり今村昌平監督の存在は欠かせません。今村監督がつくられたから日本映画学校(現・日本映画大学)に入ったわけではなかったんですけど、入学後にこんなに偉大な人だったんだと作品を観て気づかされました。

ジョージ・ルーカス、黒澤明、スティーブン・スピルバーグ/第62回米アカデミー賞授賞式 Photo by CHRISTOPHE D YVOIRE/Sygma via Getty Images

もちろん、黒澤監督の作品は別格です。初めて日本映画を観ていて洋画と変わらないダイナミズムを感じて、そのスケールの大きさにも、現実的に考えると、「こんな映画、到底できないだろうな」と思わされてしまうほどの迫力に気圧されました。一方で、今村監督の『復讐するは我にあり』などは、人間のある種のおぞましさや人間が背負う業のドラマに傾倒していくきっかけではありましたね。

日本の映画界を取り巻く状況について思うこと


――大学に進学されて、その後、改めて日本映画学校に入学されていますが、その決断というのはどのように?

特に決断という感じではなかったですね。映画の他にやりたいことが見つからなくて。一応、大学で就職活動はしましたけど、企業戦士として生きるイメージが自分の中で全くわかなくて……。そうこうしているうちに、映画の制作現場をアルバイトとして体験して、そこからですね。「この道を!」と決断したというよりは、他に行くべき場がありませんでした。

――その時点で監督になりたいという思いはあったんですか?

ありません。どちらかというとプロデュースのほうですね。だって監督なんてやれると思わないですからね(笑)。そう簡単に「監督になる」というイメージがわかないじゃないですか? 企画を立てたり、キャスティングを考えたり、資金をどう集めるかとか、いわゆるプロデューサー業であれば、自分でも勉強したらできるかもしれないと思っていたんでしょうね。今思うと、それもイメージに過ぎませんでしたが。

李相日監督

――明確に「監督になりたい」と思ったのは?

映画学校の卒業制作を監督してからですね。賞をいただき少しは注目もされて、ようやくそこからですね。

――今年は『国宝』を筆頭に、邦画市場が活気づいた一方で、いくつかの映画館が閉館になるというニュースもあり、日本の映画界を取り巻く状況は良いことも良くないことも様々です。抽象的な質問ですが、李監督自身は現在の日本の映画界の状況をどのように見ていますか? 特に課題として感じていることなどを教えてください。

問題点というのは常にあると思います。撮影現場の状況もそうですし、二極化が進む興行形態など問題点は常について回るもので、ただそれらを一気に解決することは残念ながら難しいでしょう。いち作り手としては、映画館という劇場文化をいかにつないでいくかということに注力することが非常に重要だと思っています。

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《photo / text:Naoki Kurozu》

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