【インタビュー】本木雅弘 自意識過剰の50代が見つけためんどくさい自分との付き合い方
めんどくさい男である…。本木雅弘は自意識過剰であることを自認し、それを公言する。他人に「自意識過剰」と指をさされることが最も恥ずかしいことともいえる現代社会において…
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幸夫はねじれた自意識やコンプレックスを持ちつつ、妻の死後、妻と共に亡くなった親友の遺族である大宮家の父・陽一(竹原ピストル)と子どもたちと接する中で、少しずつ変わっていく。原作となる同名の小説も自ら執筆している西川美和監督は映画完成後「本木さんこそ幸夫であり、幸夫こそ本木さん」と語っている。一方で本木さん自身は、自らの持つ“醜さ”と監督が幸夫に求めている情けなさに、微妙なずれを感じたという。
「私自身も、監督が原作小説の中で幸夫について書いているように『自意識の度合いは激しいのに、健全な範囲での自信に欠けている』のは事実で、面倒な両面性を持ってます。そこに葛藤していく姿を見てみると、実は幸夫は、本人が気づかないだけで根底には素直な心を持ってるんです。大宮家の面々と触れる中で内心妻の思いに打たれている。でも私自身は…そういう素直さがなく、愛情表現を拒む意固地さがあるというか、もっと投げやりなんですよね(苦笑)」。
自意識過剰なコンプレックスにあふれたダメな男――そんなイメージを自らさらすのは「半分は自己防衛」と言い放つ。
「『できない!』『走れない!』と言った上で、懸命に突っ走る。3等賞になったときの言い訳を先に作っとかなきゃって意識ですよ(笑)。でも、密かにこの作品で、自分のそういう“セコさ”“えげつなさ”を出してしまおうか? という挑戦をしてみるかって意識はありましたね。ただ、僕がそのまま自然に幸夫をやると、怒りの部分がもっと強く出ると思います。自分に、周囲に苛立って、ちゃぶ台をひっくり返すような自暴自棄になっていく。でも、監督が求めたのは、怒りよりも哀しみなんですね」。
本木さんが、例として挙げたのは、終盤の大宮家での鍋のシーン。トラック運転手の父・陽一に代わり、大宮家の子どもたちの世話を見るようになった幸夫。だが作家としての執筆活動もある幸夫に気を使った陽一から、子どもたちの世話の代替案を提案されると、自分の居場所を失ったような気持ちになり、途端に反発する。
「居場所を失うような気がして追い詰められ、彼らの無垢な心に触れるほど、自分の中の毒々しさとのギャップを感じて混乱していく。本当は素直になれるチャンスなのに、自分で台無しにしちゃう(苦笑)。そこで監督から言われたのは、単にちゃぶ台をひっくり返すんじゃなく、そこに見たくない自身の傷と対面してしまう恐怖、無様な自分に接吻するほど近づいていくことへの怯えがほしいと言われました。言葉はきつくなっていくけど、同時に消え入りそうになっていく気持ちを混ぜてくれと。自然な僕自身だったら、きつい言葉を吐いて、そんな自分を俯瞰して『あ~あ、またやっちゃってるよ』って心で叫びながらもさらに荒れるとなりそうなところで、幸夫は本当の意味で自分を葬り去りたいような気持ちにもだえるんです。あれは監督の調整がなければ出来なかったことだと思います」。
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