46歳という若さでマーベル・スタジオの社長を務め、当時誰にも見向きされなかったアイアンマンと言うキャラクターに新たな息を吹き込み世界の人気スーパーヒーローとして確立させ、マーベル・シネマティック・ユニバースの基盤を作った人、それがケヴィン・ファイギだ。現在のハリウッドで、いや世界中でいまいちばんときめいているセレブ的プロデューサーの軌跡を追ってみた。
ネバー・ギブアップ精神
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1973年マサチューセッツ州ボストン生まれニュージャージー州育ちのケヴィン少年は、幼い頃からアクション・フィギュアと映画が大好きで、将来は映画を作りたいと夢見ていた。
そこでケヴィンは、映画業界に入りたいキッズたちの憧れの的である私立大学USC(University of Southern California:南カリフォルニア大学)に入学申請をする。しかし彼はここで見事に却下されてしまう。
だがこれでくじけていてはハリウッドではやっていけない。ケヴィン少年がUSCにトライすること5回。(アメリカの大学は学期の節目ごとに入学が可能)普通これだけ却下されれば諦める人が多いだろう。ところがケヴィンは諦めなかった。
米国「Vanity Fair」のインタビューでは当時をふり返り「毎学期ごとにUSCに入学願書を提出した。5回、ひょっとしたら6回トライした」と語っている。そして遂にケヴィン少年は入学を許可される。
彼が2~3回目の願書却下で諦めてしまっていたら、いまのマーベルにケヴィン・ファイギはいなかったかもしれないのだ。
青年ケヴィン、ハリウッドへ!
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大学ですべてが決まるとは言わないものの、USCに入るとかなりのアドバンテージがある。何と言っても、ジョージ・ルーカス、ロバート・ゼメキス、ロン・ハワードなど錚々たる映画業界の要人たちが卒業した有名大学だけのことはあって、USC在学生・卒業生は映画業界でかなり優遇される。
そのアドバンテージとして真っ先にあげられるのは、学校側から提示されるインターンシップの豪華さである。当時のケヴィン少年が物にしたのは、当時をときめく『スーパーマン』や『リーサル・ウェポン』シリーズの監督・プロデューサーとして有名だったリチャード・ドナー&ローレン・シュラー・ドナー夫妻が営むプロダクション会社でのインターンシップだった。仕事内容は主に夫妻が愛するワンコの散歩と洗車だったらしいが、「業界内の仕事」であることには変わりない。
持ち前の粘りで2年間の“お手伝い係”を全うしたケヴィン少年は、やがて夫妻から有給の製作アシスタントとして雇われることになり、熟練プロデューサーだったローレン夫人のもとで働くことになる。
当時『X-MEN』のプロデュースを手掛けていたローレン氏は、ケヴィンが持っていたマーベル・ヒーローの知識に感服しアソシエイト・プロデューサーとしてケヴィンを起用した。ケヴィンはそこで、製作総指揮にあたっていたマーベル・スタジオのCEOアヴィ・アラッドと運命的な出会いをすることになる。
コミック・ヒーローに対する豊富な知識はもとより、ケヴィンの誠実さ、気転の速さ、そして映画に対するセンスを感じたアラッド氏は、ケヴィンにマーベルへの入社を勧めたのである。
マーベルの苦難とスーパー・プロデューサーの誕生
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話しは多少前後するが、ここでまだケヴィンがマーベルへ入社する前の1996年に時を遡る。それは、マーベル・スタジオがまだマーベル・コミックスだったころだ。
この年、同社は破産申告をする憂き目に遭っていた。若者たちのコミック・ブック離れが致命的な原因だ。マーベルは借金返済のために売れるものは全て売らなければいけない、という状況に追い込まれる。人気キャラクターの映画化権も売りに出された。
ハルクはパラマウントへ、X-MEN、ファンタスティック・フォー、デアデビルはセットで当時の21世紀フォックスへ、そして最近「養育権争い」となったスパイダーマンとその関連キャラ(例:ヴェノム)はソニー・ピクチャーズへ、といった具合である。
この時期にケヴィンの恩人となるアヴィ・アラッド氏が苦境に瀕したコミック会社の将来性に目をつけた。アラッド氏は昔からマーベル・ファンで、ハリウッドでもプロデューサーとして著名だった。アラッド氏は、仲間で屈指のオモチャ企業Toy Bizの責任者だったアイザック・パルムッター氏にマーベル参入をうながす。かくして両氏の指揮のもとマーベル・コミックス社は、マーベル・スタジオとして新装オープンするに至る。
さて、マーベル・スタジオに入社したケヴィン青年に話を戻そう。入社当初、アラッド氏の右腕として採用されたとはいえケヴィンの仕事は、毎日山のように送られて来る脚本に目を通し、ミーティングに出かけるアラッド氏のカバン持ち兼助手といった具合だった。
当時のマーベル社は、スパイダーマンなどの主要キャラクターを他社に売り渡してしまったため、自社のキャラを主人公にした映画なのにも関わらず、その方向性に口を出せない状況が続いていた。
「キャラクターを熟知している我々がクリエイティブをコントロールしなければいけない。マーベル・スタジオに権利が残っていて映画製作においてコントロールが効き、かつオモチャとしても一番売れそうなキャラクターは何か…?」マーベル・スタジオの上層部もケヴィンも同じ思いを抱えていた。
極秘のうちにマーベルは、子どもたちから成るリサーチ・グループを集め、マイティーソーやアイアンマン、ハルクなどのイラストを見せて、「どのキャラクターの人形が欲しいか?」という質問をし、その答えを統計した。その結果アイアンマンが“優勝”を飾ることになる。
そして奇しくも2006年、ケヴィンの恩人であるアラッド氏がマーベルの会長兼CEO(最高経営責任者)としての引退を発表した。頭の回転の速さに加えマーベル・キャラクターに対する知識と愛情では誰にも負けなかったケヴィン・ファイギはかくして2007年、マーベル・スタジオの社長に就任したのである。
敏腕プロデューサーの快進撃
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その権限を持ってして、水を得た魚のようにファイギの活躍が始まる。当時、ドラッグ問題などで俳優としてはリスクが非常に高かったロバート・ダウニーJr.の『アイアンマン』への器用を承認し、結果映画は記録的な大成功を収める。これを機にマーベル・シネマティック・ユニバースという巨大なフランチャイズがスタートし大成功を収めるに至っている。
いっぽう、マーベルの大躍進に反比例して巨大なフランチャイズが岐路に立たされていた。親元ジョージ・ルーカスの手を離れてディズニーが買収するに至った『スター・ウォーズ』シリーズ、特に世界中で愛されている映画シリーズで暗雲が立ち込めていた。
J.J.エイブラムスの指揮下でファンファーレとともに始まった最終3部作のうち、現在すでに公開されている『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』、そして監督ライアン・ジョンソンによる『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は興行的には成功しているものの、「成功」という感覚からは程遠い気持ちを味わっているファンも見受けられた。
その暗い気持ちは、スター・ウォーズ・シリーズ最愛のキャラクターであるハン・ソロの若き日を描いたスピンオフ作品『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』の興行結果が出るにあたり万人のものとなる。
12月公開『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を前にして、すでに将来のスター・ウォーズ戦略を練りはじめているディズニーは、偉大なるブランドをピンチから救い出してくれる人物を内々で模索していた。
好きを極めてハリウッドの頂点へ
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ディズニーは、この時すでにファイギに着目していた。人当たりの良さ、論争の中で仲裁に入れる楽天家な気性、そして自らがスターウォーズの大ファンでもあることからファンのレベルに立って物を考えられる…。世界最大フランチャイズと言っても過言ではない『スター・ウォーズ』の舵取りを任せられる最適任者がファイギであることは誰の目からも明らかだった。
9月25日ディズニーは、ケヴィン・ファイギがルーカス・フィルムのもとでこれからの『スター・ウォーズ』映画シリーズの製作指揮として就任することを発表した。
ファイギは様々なインタビューで、子ども時代に『スター・ウォーズ』から受けた影響は計り知れないと語っている。まさに映画ファンとしての夢を叶えた人である。
読者の皆さんの中でもきっと「映画で身を立てていきたい!」と思っている方がいらっしゃるだろう。もし周囲の人に、「映画なんか作ってもお金にならんぞ」などと言う御仁がいたら、ケヴィン・ファイギのことを話すと良いかもしれない。人間、なんでも好きなものがあったら、とことん好きになって、夢を諦めずに努力を重ねれば、きっといいことがある。そう思わせてくれるのがケヴィン・ファイギなのである。(文・取材:Akemi Kozu Tosto/神津トスト明美)