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映像は三大テノールの1人であるホセ・カレーラスが「大きなコンサートは何度も開いてきた。高視聴率のテレビ放映はあったが8億人は初めてだ」と、“三大テノール初演”後の反響ついてふり返る様子から始まる。ライバル同士でありながら、当時のサッカーワールドカップ・イタリア大会の決勝戦前夜祭としてコンサートを開催することになったのは、3人のサッカー愛、そして1987年に白血病と診断されたカレーラスが闘病の末、復活したことを歓迎するためだった。
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しかし、当日のコンサートの模様をイタリア放送協会(RAI)が手掛けて世界8億人が視聴、結果としてその奇跡の歌声は世界中に感動を呼び、“三大テノールコンサート”のレコードは3日間で50万枚、1か月後には300万枚、そしてクラシック界最大の1,600万枚のベストセラーとなり、その後“三大テノール”の大躍進がはじまることになる…。
三大テノールの発案者であり初演舞台のプロデューサーであったマリオ・ドラティは、「数社は『歌詞が古臭い』『誰も聴かないから契約しない』」との声があったものの、「幸いにも(イギリスのレコード会社)デッカの社長がその場にいて、こう言った『全権利を今すぐ買い取ろう』」と、最初は誰もが飛び付く企画ではなかったことを打ち明ける。
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そして、当時のデッカの担当者も「彼らを説得した。『出演料は低く抑えて、高い印税を払う形にしたい。結果的にあなた方も儲かる』」と申し出たが、すでに著名だった“三大テノール”たちは実はその申し出に難色を示していたという。「2人は反対、とくにプラシドはかたくなで、高額契約を主張した。あそこまで成功するとは思わなかったからだ」。
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プラシド・ドミンゴ自身も「正直なところ大成功はまるで期待してなかった。たった1回のコンサートだ。特別な企画とはいえ まさか あそこまでとは」と彼自身予想もしなかった空前の大成功に苦笑い。「彼(ドミンゴ)が地球規模の成功に気付いたのは公演が終わる頃だ。歓声に手応えを感じてようやく分かったらしい。『印税契約にすべきだった』『あの契約書にサインしたのは愚かだった』」と、舞台裏で行われていた音楽ビジネスの駆け引きが明らかにされている。
『甦る三大テノール 永遠の歌声』はBunkamuraル・シネマほか全国にて順次公開中。