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『私だけ聴こえる』トークイベント開催 松井至監督「日本のコーダのドキュメンタリーを作ろうとしています」

ろうの両親から生まれた、耳の聴こえる“コーダ”(CODA:Children Of Deaf Adults)の子どもたちを追ったドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』。シネマカフェでは本作の松井至監督を迎え、オンライントークイベントを行った。

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『私だけ聴こえる』(C)TEMJIN / RITORNELLO FILMS
『私だけ聴こえる』(C)TEMJIN / RITORNELLO FILMS 全 7 枚
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耳の聴こえない親から生まれた、耳の聴こえる“コーダ”(CODA:Children Of Deaf Adults)の子どもたちが揺らぎながらも自らを語り、成長していく姿を追ったドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』が現在公開中。

先日、シネマカフェでは本作の松井至監督と、進行役に奥浜レイラさんを迎えてオンライン試写会とトークイベントを開催。監督に製作のきっかけや取材を通じて感じたことを中心に伺いながら、映画を鑑賞した観客からの質問にオンラインで応じてもらった。


>>『私だけ聴こえる』あらすじ&キャストはこちらから


コーダ・コミュニティを追ったきっかけは、東日本大震災


松井:の作品は主にアメリカで取材をしましたが、アメリカではDeaf(デフ)ワールド=ろう者の世界と、Hearing(ヒアリング)ワールド=耳が聴こえる聴者の世界と、CODA(コーダ)の世界と3つのアイデンティティがはっきり分かれているんですね。実際に日常的にも、この3つの言葉を使います。なので、どのような字幕をつけて日本の社会に届けるかということを考えたとき、日本のろう者の方に相談をして、東京国際ろう映画祭をやっている牧原依里さんという方に「Deaf」に相当する言葉は日本語に訳すときには「ろう」でいいと思いますと言われました。

「Deaf」というのは、頭文字のDが大文字なんですね。それは黒人の方々を「Black」「Blackpeople」というときにBが大文字なのと同じで、そこに“敬意”が込められているというか、つまり自分たちのその文化を誇っているということですね。その上で日本語で伝えるときは「ろう」と言うことを教わり、今回「ろう」を使いました。

聴者という言い方は、以前は「健聴者」と健やかという字が入ったんですけれども、何が正常なのか、何が健康なのか、そういうある種の基準をその言葉に感じさせない、ただ「聴こえる」ということを示す言葉が使われているということですね。

奥浜:内容にもそういったことが出てきましたが、何が幸せなのか、誰が幸せを定義するのかというところも本作のテーマの1つになっていたと思います。まず、コーダ・コミュニティをドキュメンタリーで映そうと思ったきっかけというのは?

松井:映画に日本のシーンが出てきたと思います。2015年に撮った映像なのですが、「NHKワールド」で企画を書いてほしいということで、東日本大震災の復興に関する企画を書きました。そのときに、自分の頭の中に浮かんできたイメージがあって、東北の沿岸部に津波が来たときにろうの方たちはどんなふうに逃げていったんだろうと。NHKワールドという海外に向けての発信でしたので、そこでリポーターが必要になって日本手話とアメリカ手話を両方できる方を探そうということで、本作にも登場したアシュリー・ライアンさんと初めて出会いました。2人で東北の沿岸部で複数名のろうの方に取材をしにいったんです。

「どのようにして逃げましたか」というふうにお聞きしたところ、耳の聴こえる自分の娘や息子が近くに住んでいて、駆けつけてくれたので一緒に逃げた、ということをいくつかの家族から聞きました。僕は初めてそこで、コーダという名前は出ませんでしたが、その方たちに会って話を聞くことができたんです。

それが何度かロケを繰り返しているうちに、アシュリーさんがだんだんと落ち込んできてしまって…。「どうしてそんなに気落ちしているんですか?」と聞いたところ、「実は私たちがこれまで会ってきたのはコーダで、私自身もコーダなんだ」という話をしてくれたことがあったんです。

「そのコーダというのは何ですか?」という話になったときに、「心はろうの文化で育った心を持っているんだけれども、体は耳が聴こえる聴者なんだ」ということをお聞きして、非常に不安定な状況で過ごさなきゃならない、2つの世界の間で揺れている存在なんだということを知りました。当時は、いまのようにコーダという言葉自体が社会に出回っていない、周知されていない時代だったので「このことを当時者に知らせよう」ということで、2人で「映画を作ろう」と、その時に話したのが最初のきっかけになります。

奥浜:昨今ですとアカデミー賞で『コーダ あいのうた』のアカデミー賞で作品賞など3部門を受賞したということもあり、ある程度浸透してきたかなというところもあるかと思います。2015年の段階ではまだ、原作のフランス映画『エール!』は2014年公開なので、まだそれほど言葉としても、感覚としても皆さん受け止められてないという状況でしたよね。


アイデンティティの揺らぎや居場所について、誰もが経験していること


奥浜:今作では15歳のコーダの子どもたちを取材されていますが、この子たちを対象に選ばれたのはなぜですか。

松井:最も自分のアイデンティティについて考え、揺れる時期というのは、コーダに限らずですけれども、10代の頃だろうと。つまり「自分とは何者なのか」「自分たちとは何者なのか」そういったアイデンティティを問う、もしくは作っていく時期に入りますよね。そのときにやっぱりコーダも一番それを考えなければいけなくなる。

仲間と出会ったりとか、自分がこれまで受けてきたことは何だったのか。そして、これからどうやって自分自身とつき合えばいいのか。そういったことをとらえ直す時期。表情も含めて、外からの刺激というのも表に現れてくる。僕としてはやっぱり10代のコーダをなしにしてコーダのことを作れないな、という思いがあって。そして最終的にはそこに絞ることになった感じですね。

奥浜:進学とか、家族のもとに留まるのかということも含めて、アメリカは特に大学に行くと寮生活を送る子どもたちも多いと思うので、家族と離れるというのはどういうことなのか、進路に関しても確かに揺れ動く時期かなと思います。

もちろんコーダの子どもたちをとらえながら、その居場所がないとはどういうことなのか、自分のアイデンティティとはどういったことなのか、という普遍的な描き方も同時にされているなと思ったのですが、その辺りは意識されたことですか。

松井:コーダとは何なのか、僕は撮影中にずっと考えていました。

彼らは自分がコーダになりたくてなったわけじゃないんですね。つまり、社会のいろんな歪みだとか、分別とかそういったことの作用で現れてきたものが、今回コーダというところに集合しているように見えたわけです。「ろうのほうが耳がきこえないので劣っているだろう」というふうに長く思われていました。

ただ、それに対してろう文化がある、手話という文化がある。というアメリカでは文化として周知する運動が強くあったわけです。その後でコーダの文化が生まれてきましたので、何か1つ1つのアイデンティティがあるんだと認めていく、そういう作業を社会がしているように僕は思いました。実際、一個人から考えてみると、自分はコーダだということをもちろん気づけるのはいいことなんですけれど、常に自分がコーダの話をしているわけではないし、意識しているわけでもなくて、全員同じように生きているわけです。

ただ生きようとして、この地上にいるというわけです。なので最終的に、もう少しジャンルとか属性からもっと遡った、3つの世界(ろう・聴者・コーダ)に通底するものは何かとなったときに、“ただの人間”なんだなと。それを最後のシーンで表そうと思いました。耳の医者に行ったナイラは「ろうと一体化したい」という潜在的な欲求が強かったんです。それに対して医者は、当たり前のことなんですけれど、「すべて正常です」と言いました。

実際にあのロケをしているときに「自分は聴者だ」とか、「相手はコーダ」とか、そういうことをつき合う中で感じなくなっていく。バリアがなくなっていっているときにあのロケができたというところがありました。その後、雪合戦をただただ撮ったんですけども、ただただ幸せな普通の家族、人間の家族、生き物の家族ということ。最終的にはそこを、属性の向こう側とか、言語の網目から抜け出た命というか、そういうものを僕は描きたかったんだなと思いました。

そこまで行くと、ようやく人間の普遍性というところ、つまり<居場所がないコーダ>というふうに僕らは見てきたけれども、自分も同じなんじゃないか、自分も実は居場所はないんじゃないか。社会というのは狭いものだし、時代は変化するものです。社会の真ん中にある<普通>という考え方はどんどん変化していくわけです。

つまり自分1人の中にあるものが、社会には当てはまらない、ということは誰しもが大なり小なり経験しているんですね。そういうふうに考えると自分というのは結局、居場所のないものなんだと、とらえることができるわけです。なので、僕はコーダを見ながら、コーダを入口にしたり、鏡にしたりして、実は自分たちの居場所のなさだったり、聴者といわれている自分たちをコーダという鏡に映してみることだったり、そういったことができるんじゃないのか。コーダというのは別の世界の入口なんじゃないのか、そんなことを考えました。


コーダキャンプをカメラでとらえたのは「僕らのケースが初めて」


奥浜:海外では、コーダに関するドキュメンタリーは撮られているんですか。

松井:僕が作り始めたときから、全然なかったと思います。たぶん、コーダのコミュニティに入ること自体が非常に難しいところがあるので、実際にコーダじゃないと無理なところがあったりしますね。コーダキャンプはコーダでないと入れない場所なんです。聴者があの森の中に入ったのは、僕らのケースが初めてだと言われました。そういう意味では時期的に、30数年たってようやくこういうドキュメンタリーが撮れるようになったというところもあるんじゃないでしょうか。

奥浜:コーダキャンプにはどのようにアプローチをされて撮影していったのでしょうか。

松井:やっぱりアシュリーさんですね。アシュリーさんはオバマ大統領の通訳をやったりして、コーダの世界で少し有名な方なので。

10代のコーダたちはロールモデルがほしいんです。コーダの世界で活躍している音楽家がいる、あるいは舞台俳優がいる、政治家がいる、何でもいいんですけど、いろんなところにコーダがいるはずなのに、やっぱりそれまであまり見えてこなかった。自分たちがどういうふうに成長して社会に出ていけるのかを見ていたいですよね。なので、10代のコーダたちはアシュリーを見て、あちこち世界中に行って手話通訳をやっていることを聞いて、すごく憧れをもってお姉ちゃんという感じで接していました。彼女がパイプになってくれて、すべてのロケが円滑になったというか、少なくとも僕らが家に入れてもらって人間関係を作るところまでいけましたね。


質問:日本国内にもコーダのコミュニティはありますか?


松井:日本国内にもコーダのコミュニティはあります。J-CODA(コーダの会)が活動されています。

僕はアシュリーさんと、このドキュメンタリーを作るという話をしていたので、アメリカが舞台になっていきました。アメリカは1980年代にコーダという言葉を生んだ原点でもあるので、そこで何か一番最新のコーダ・コミュニティの姿を描くことができれば、全世界のコーダの人たちの何かしらのヒントになるかなと思ったんです。

日本のコーダの方と出会ったのは2019年。本作のNHKバージョンを作った後に、コーダの研究者や、J-CODAやライターの五十嵐大さん、そういった(日本の)発信者、育成者たちに会いました。そしていまは、日本のコーダのドキュメンタリーを作ろうという話になっています。日本のコーダをどうやって撮るか、まだどんな作品になるか、本作とはまた違うものになると思いますけど一緒に作れる人を探しているという状況ですね。

奥浜:やはりアメリカという社会で撮ったからこそ、コーダというアイデンティティ、あり方を自覚的に考えていらっしゃる方がご家族にも、当事者の方にも多いと。日本だと、そのあり方はまた変わるものでしょうか。

松井:そうですね。東北の映像で映った方々、あるいは2,3組僕が会った方々はコーダという概念をまったく知りませんでした。そのまま40代、50代になった方々という感じだったので。つまり、アメリカの場合アイデンティティをすごく重要視する文化なんですよね。自分が何者なのか、社会の中では気づかれていない存在だとすると、やっぱりそこに言葉が必要で、考えが必要で、仲間が必要でということがあると思います。

ただ、それが日本ではなかなか可視化されづらかったり、人が集まりにくかったり、何か境界があいまいな感じはあります。ろうの世界、コーダの世界、聴者の世界というものが、アメリカでは本当にきっぱり日常的に分かれていますが、日本の中では別の形で表れてくる。その形がどういう形なのか、この2、3年、Twitterなどを見てもコーダの方々が肩書きのところに「CODA」というふうに書いて発信を始めています。発信を始めるというのはどういうことかというと、社会の認識と自分のアイデンティティとがズレてるということですね。だから、そのときに初めてアイデンティティを持って自分を守らなきゃいけなかったり、誰か仲間と出会わなきゃいけなかったり、ということが起きてくるんだと思うんです。それが日本で始まったということだと僕は思うので、その表れ方をこれから撮っていきたいなと。


質問:聴者がコーダの方と関わる際に意識すべきこと、避けるべきだと思うことはありますか?


松井:コーダの方がみなさん言うのは、同情しないでくれということですね。英語で言うと「Sympathy(シンパシー)はいらない、(Empathy)エンパシーがほしい」、つまり仲間がほしい。聴者とか関係なく仲間がほしいんであって、私たちに同情したりする人間がほしいわけじゃないんだよ、ということですね。やっぱりそれは屈辱的なことなんだと思うんです。

自分の文化や育ちをわかっていない人が突然来て「かわいそうだね、あなた」って言われたくないじゃないですか、逆の立場だったら。なので、そこのところを変に警戒したり、自分が知っていると思わないほうがいいのかなというのは、僕自身たくさん失敗したので思いますね。

それともう1つ、日本の状況の中で例えば保育園だったり、幼稚園だったり、コーダの子どもがいるとしますよね。そうすると単語しかしゃべれない子もいるわけです。つまり、家はろうの家庭で発話をしている人がいないということもあり得るわけです。その子が小学校に入学すると、この子はどうしたんだろう、情報が入ってきていない、という話になるわけです。そうなったときにやっぱり教員だったり、教育関係の人たちはコーダを知っていたほうがいいと思います。アメリカではコーダの子たちに、移民の方たちと一緒に補習の授業を受けさせているんです。小学校まで言葉が話せなかったという子が結構いたので。コーダはコーダとして、教育者たちが認識しているという状況がまず作れたら、と思います。

※5月20日に実施したオンライントークイベントになります

最後に・・・

自分自身とどう付き合うか、この問いは全ての人が持っている問いだと思うんです。一生を共にする伴侶としての自分もいるわけで、コーダの方々は思いっきりそれを悩んでいます。なので生きづらさを感じてたり、居場所がなかったりということと同じですよね。なぜか分からないけれども社会にフィット・インできない、馴染むことができないという思いを持った人たちが映画館に来たり、この映画を見ることで自分自身との付き合い方っていうのを少しとらえ直す時間になればなというふうに願っています。だから、いろんな方に、周りの人に声をかけて、あまり特別な映画、特殊な映画ということではなくて、気軽に観に来ていただけたら僕としては嬉しいです。

本作はバリアフリー字幕といいまして、音が鳴っているとか、全ての状況・情報が分かる字幕が全劇場でついていますので、周りでろうの方がいたり、難聴の方がいても、どの回に来ていただいてもバリアなく観られます。そして音声ガイドもついていますので、視覚障がいの方も音で楽しむことができます。子どもも、吹き替えバージョンというのを作っていますので多くの方にご覧いただけたらと思います。

『私だけ聴こえる』はシアター・イメージフォーラムほか全国にて公開中。

《シネマカフェ編集部》

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