年齢を重ねるにつれて、自分が親に似てきたことに気づく人も多いのではないだろうか。よく考えてみれば、今の自分は、かつて学生だった頃、一緒にくらしていた母親の年齢を超えているのだ。当時は理不尽だと思っていた親の小言も、今となってみれば経験からくるアドバイスだったのだとわかることもある。あの頃の母親や父親と今の自分が接したら、仲良くなれるのだろうか……。
セリーヌ・シアマ監督の新作映画『秘密の森の、その向こう』は、そんな想像をみずみずしく映像化した物語だ。
森の向こうで出会った少女と“おばあちゃんの家”
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主人公は、8歳の少女・ネリー。大好きだったおばあちゃんが亡くなり、彼女が暮らしていた家を片付けるために、両親とともに森の奥にひっそりたたずむおばあちゃんの家にやってきた。おばあちゃんの死を哀しむママは、心ここに在らず。ネリーとパパを置いて、一人で出て行ってしまう。パパは家の片付けに忙しく、ネリーは一人で退屈を紛らわすしかない。
ママが子どもの頃に遊んでいた森。ママはそこで子どもの頃に自分で小屋を作っていたという。ネリーが森の中を進んでいくと、そこで小屋を作っている一人の少女と出会う。彼女は、ママと同じ「マリオン」という名を名乗り、ネリーと同じ8歳だという。急な雨に降られた二人はマリオンの家に逃げるが、その家はおばあちゃんの家とそっくりだった……。
私と同じ顔をした小さいママ
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本作の原題は「Petite Maman」。小さいママ、という意味だ。ネリーはマリオンが幼年時代のママであることを直感的に理解し、マリオンと仲良くなっていく。彼女たちはあまり言葉を交わすわけでもなく、お互いをそのまま受け入れ、すぐに気持ちを通じあわせていくのだ。
この8歳のネリーとマリオンは、顔や背格好、髪形もそっくり。さらには、ファッションの傾向も同じなため、そのシーンだけを見ると、どちらがネリーでどちらがマリオンなのか、わからなくなってしまう人も多いだろう。
それもそのはずで、本作で8歳のネリーとマリオンを演じているのは、双子のジョセフィーヌ&ガブリエル・サンス姉妹。シアマ監督は、そっくりな顔をした二人の少女に母と娘を演じさせているのだ。それはつまり、母と娘のもともとの本質は、かなり近い、そっくりなものだということを意味しているのかもしれない。
他者から影響を受けていない、もっともピュアな自我
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“8歳”という年齢にも注目したい。日本では昔から「七つまでは神のうち」と言われていた。それは、子どもの死亡率の高かった昔においては「7歳までの子どもはいつ亡くなってもおかしくない」という意味であり、「7歳を超えた子どもは、神に属する存在でなくなり、人間として共同体の仲間入りをする」という意味でもある。
フランスでは6歳から義務教育が始まり、小学校にあたるEcole elementaireに通い始める。学校に通うことで、人は読み書きを学び、友人と接することで他者と自分との違いを意識しはじめるようになる。そして学校生活が長くなっていくにつれ、だんだんと社会生活のルールを知り、人からの影響を強く受けるようになってくるのだ。
ネリーとマリオンの8歳という年齢は、まだそれほど他者からの影響が強くない時期でもあり、自我が確立しはじめる時期でもある。つまり、未発達ながらも、自分の本質的な自我をそのまま持っている年齢とも言える。
セリーヌ・シアマが描いてきた母と娘の葛藤
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セリーヌ・シアマ監督は、これまでクィアな物語を描いてきた。2007年のデビュー作『水の中のつぼみ』では、15歳の少女の同性への初めての恋を描き、2011年の『トムボーイ』ではミカエルという男の子の名で男の子として生活しようとする10歳の主人公を描いた。そして2019年の『燃ゆる女の肖像』では、18世紀の貴族の娘と女性画家の恋を描き、カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞するなど、高い評価を得ている。
これらの物語に登場する母親は、決して主人公の味方ではない。『トムボーイ』では男の子の格好をする娘を叱りつける。『燃ゆる女の肖像』では、嫌がる娘に結婚を強いる。彼女たち母親は自分の子どもの本質を見ようとせず、社会や常識を判断基準にして子どものしあわせをジャッジしているのだ。それが子どもたちを傷つけるとも知らずに。
自分にもっとも近い他者へのピュアな想い
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本来、本質的には似た素質を持っており、理解しあえるはずの母と娘。それなのに、他者や社会から価値観を植え付けられることで、だんだんと理解しあえなくなっていく……。セリーヌ・シアマ監督は、そんな複雑で難しいはずの“母と娘”のしあわせな関係を、もっともかわいらしくやさしいかたちで描き出した。秘密の森を抜けて出会った彼女は、もっとも自分に近い、もっとも愛すべきひとだったのだ。
本作『秘密の森の、その向こう』は、8歳の頃に抱いていたピュアな愛情を思い出させてくれる、きれいなクッキーの缶に入れてしまっておきたい、宝物のような映画なのだ。