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【インタビュー】井浦新、海外出演作で伝える「違うを認めること」の大切さ

6月7日に公開となるアメリカ映画『東京カウボーイ』で、初の海外作品主演を果たした井浦新。役柄同様、勝手の異なる現場を体験したという井浦さんに、撮影について、そして映画の魅力について聞いた。

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「ちぐはぐさを笑いにしない」それぞれの文化に敬意を払う


――「勝ち続けることが幸せ」という考えが長く当たり前でしたが、今『東京カウボーイ』のような物語が各国で賞賛されているのは、価値観が多様化し変化していくタイミングだからなのかもしれません。

世界中でみんながコロナ禍を同時に経験したというのも大きいかなと思います。当たり前だったものが当たり前じゃなくなって、既成概念が一回壊れて。新しい価値観を否が応でも受け入れざるを得なくなる。新しい考え方と共存して行くというか。もしくはこれはアップデートだと考えて変化をちゃんと受け入れていく、そんな価値観も生まれたのだと思います。

この作品は再生の物語ですが、この“再生”はコミュニケーションが鍵になっている。コロナ禍で世界中の人がコミュニケーションの断絶を経験し、不安を感じ、それを越えて価値観を再構築したりアップデートしたりする過程を経た。だから、この物語に自分を重ね合わせやすいのかも知れないです。

――モンタナの牧場でヒデキが「Languageが大切だ」と言われる場面が印象的です。直訳すれば、「Language」は「言語」という意味ですが、この文脈では相手の文化や習慣、考え方、服装までも含めた価値観などを意味していますよね。全く違う価値観を受け入れていくことは敬意のひとつであると感じました。

監督、脚本の藤谷さんはじめ、みんなが共通認識として持っていたのは、郷に入れば郷に従うことの大切さ。それは異文化交流でもあるけれど、その過程で見えてくるのは、言語や人種が違っても変わらないことがあるということ。違いを認めることで共通するものに気づけるということも、この物語は伝えようとしているのでしょう。

これは日本国内でも同じこと。物語の冒頭で、あるチョコレート会社を買収しますが、ヒデキはそこに気づけなかったから失敗した。共通する部分、変わらない思いに気持ちを寄り沿わせること、ヒデキがそれに初めて気づけた場所がモンタナだったんです。

――サラリーマンのヒデキがスーツを着て大自然に抱かれた牧場の中に入って行く。かなり滑稽ではありますが、脚本や演出もそれをバカにするのではなく、彼を見守るような温かさがあり、日本の文化を嘲笑するようなものを一切感じませんでした。作る人々が、日米両方の文化に敬意を払っているのが感じられて、見ていてとても気持ちの良い作品でした。

それは藤谷文子さんのおかげです。藤谷さんは日本にいた時期から俳優としてだけじゃなく、脚本家としても活動されていました。アメリカにフィールドを移した際に、日本の社会の中で浮いているアメリカ人やちょっと失敗している観光客をずっと観察し作品にしていらした。決して傷つけるようなやり方でなく。

今回、モンタナで日本人ビジネスマンを映し出すときにも、そのちぐはぐさを笑いに変えるのではなくて、そこに違和感を憶えたりユーモアを感じたりした観客が自然に何かを受け取ってくれればいいという姿勢なんです。笑いを押し付けてないというか。だから脚本もバランスがいい。

藤谷さんは両方の文化からの目線も持っているから、日本人サラリーマンをバカにしないし。人をちゃんと見て人を愛しているから、人や物事へのまなざしが温かい。だから作品の中で、日本人もメキシコ人もアメリカ人も、人種や文化、習慣、風習の違いを否定し合うことはないんです。


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《text:June Makiguchi/photo:You Ishii》

映画、だけではありません。 牧口じゅん

通信社勤務、映画祭事務局スタッフを経て、映画ライターに。映画専門サイト、女性誌男性誌などでコラムやインタビュー記事を執筆。旅、グルメなどカルチャー系取材多数。ドッグマッサージセラピストの資格を持ち、動物をこよなく愛する。趣味はクラシック音楽鑑賞。

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