【シネマモード】カンヌで賛否両論…N.W.レフン監督が挑発作を描き続ける理由
いま、世界の映画ファンから注目を集める俊英のひとり、ニコラス・ウィンディング・レフン監督。2011年にカンヌ国際映画祭で彼に監督賞をもたらした…
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現代社会を描く上で、切り口は無数にある。“執着”もそのひとつだろう。物質社会の中では、所有する願望を抑えることはなかなか難しい。今回、ニコラス・ウィンディング・レフン監督が映し出す世界は、幻想的な映像美とともに描き出される、グロテスクなまでの美への執着だ。自分を否定してまで、自分を削ってまで、危険な美に引き寄せられる人々を通して、人間の本質に迫ったレフン監督は、本作を創るきっかけをこう話す。「ある日、自分が女性に支配されて生きていることに気付いた。そして、危険な美についての映画を撮りたいという不思議な衝動を覚えた」。女性に支配されているといっても、決して否定的な意味では決してないと言う。「自らすすんで女子の支配下にいるんだ。なぜなら、女性の方がすべてにおいて男性より断然面白いから。かといって、男女の違いを追求したいのかどうかはわからない。女性についてはミステリアスなままにしておきたいんだ」。
今回テーマとした、美への執着を通し、人間の欲望の極限を描いている。その衝撃的な表現で、本年度のカンヌ国際映画祭では賛否の議論を巻き起こした。だが、「観客の心に刺さることで、彼らの一部になる目的は達成された」と、むしろ満足気な様子さえある。「クリエイティビティとは破壊なのだと思う。一回既存の概念を壊して、それを再構築する行為が、クリエイティビティであり、映画を作ることだと思う」。
『ブロンソン』『ヴァルハラ・ライジング』『ドライヴ』などこれまでの作品が、既存の映画と全く違うと感じさせるのは、私たちが考える“映画”という概念を壊すことを、監督自身が恐れていないせいなのだろう。「壊すことを怖いと感じているとしたら、安全が欲しいからだ。安全とはクリエイティビティと対極をなすものだ。クリエイターにとって健全な状態というのは、安心していない状態だ」。
批判に屈せず、安全さえも嫌い果敢に観たこともない表現に挑み続ける監督は、その繊細かつ大胆な感性をいったいどのように育んできたのだろう。「特に劇的な人生ではないよ。デンマークに生まれ、8歳まで育った。その後、NYに移住し、安全な普通の家庭に育ったんだ。だから、自分の感性がどこで育まれたのかはわからない。失読症だったから、普通でいることの素晴らしさというのが分からなかったけれど。失読症のイメージは、社会的にあまりよくない。それを背負っていかなきゃいけないところはあるけれど、普通の人とは違う脳の部分を使うことを強いることができる。それに気づいてから、失読症は一種のギフト(才能)だと思うようになった。だから、失読症の結果、自分の中の何かが変異しようと、それを資質として受け止めようと考えたんだ。それ意外では、家族のことで悩んだりする普通の人生さ」。
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