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【インタビュー】新垣結衣、芝居は「見え方を意識しない」経験から導かれた表現術

ヤマシタトモコの人気漫画を、新垣結衣主演で実写映画化した『違国日記』。原作の大ファンという新垣さんに、撮影の舞台裏と自身の芝居に対する「無意識の変化」について伺った。

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新垣結衣/photo:You Ishii
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芝居において「どういう風に見えるか」は意識しない


――新垣さんが以前「槙生ちゃんは無理に表情を作らない」と評していたのが印象に残っています。作品を拝見していても、自然な雰囲気が流れていました。

監督がお芝居の雰囲気に関してナチュラルさを重要視していて、シーンの最後などに「アドリブのアイデアが何かないですか」と聞かれることが結構ありました。長尺でアドリブだったのは餃子のシーンくらいですが、そうしたアプローチが自然な雰囲気に繋がったのかもしれません。

――今回の現場ではモニター確認に行く時間が取れなかったと伺いましたが、完成した本編をご覧になって「こういう表情になったのか」と感じた部分はございましたか?

撮影中に「どういう顔になっているのだろう」と特に気にかけていたのが、お葬式のシーンでした。原作の槙生ちゃんの表情をイメージしつつ取り組みましたが、出来上がったものを見たときに「こういう顔になったのか」とは感じました。

――新垣さんほどのキャリアをお持ちであれば「表情筋をこう動かしたらこういう風に見える」という技術的な計算はある程度成り立っているのではないか? とも思うのですが、いかがでしょう。

お芝居を始めたばかりのときは表情が乏しくて、自分ではこういう風にやっているつもりでもカメラを通すと全然足りない、という経験をしました。カメラの向こう側にいる、ご覧になっている方々に届けるためには自分の感覚よりももっとパーセンテージを上げる必要があり、それでやっとちょうどよくなる――といったことを少しずつ覚えていきました。

ある段階から「これくらい動かせばこんな風に見えるんじゃないか」とはなんとなく想像できるようになりましたが、その感覚が毎度バチッとハマるわけではありません。そのため日々勉強ですが、最近はあまり「どういう風に見えるか」は考えていないかもしれません。

まずは考えないでやってみて、監督が「もっとこういう風に見せたい」があればご指示いただいて、応えられるようにするという意識で取り組んでいます。そういった意味では、先ほどお話しした葬式のシーンも「どういう風に見えているんだろう」とは思いつつも、本番前に原作の槙生ちゃんの顔をイメージしたらその後は考えていませんでした。出来上がったものを見て「こういう表情になったんだな」と後から感じる、という形です。


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《text:SYO/photo:You Ishii》

物書き SYO

1987年福井県生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌の編集プロダクション、映画WEBメディアでの勤務を経て、2020年に独立。映画・アニメ・ドラマを中心に、小説・漫画・音楽・ゲームなどエンタメ系全般のインタビュー、レビュー、コラム等を各メディアにて執筆。並行して個人の創作活動も行う。

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